始皇《しんのしこう》に体《てい》のよい謀叛した徐福《じょふく》が移住《いじゅう》して来た処、謀叛僧|文覚《もんがく》が荒行《あらぎょう》をやった那智《なち》の大瀑《おおだき》が永久《えいきゅう》に漲《みなぎ》り落つ処、雄才《ゆうさい》覇気《はき》まかり違えば宗家《そうか》の天下を一《ひと》もぎにしかねまじい南竜公《なんりゅうこう》紀州《きしゅう》頼宣《よりのぶ》が虫を抑えて居た処、此国には昔から一種|熬々《いらいら》した不穏《ふおん》の気が漂《ただよ》うて居る。明治になっても、陸奥《むつ》宗光《むねみつ》を出し、大逆《だいぎゃく》事件《じけん》にも此処から犠牲《ぎせい》の一人《ひとり》を出した。安達君は此不穏の気の漂う国に生れたのである。
 余が始めて君を識った時、君はまだ医科大学に居た。小説「黒潮《こくちょう》」の巻頭辞《かんとうじ》を見て、苟《いやし》くも兄たる者に対して、甚|無礼《ぶれい》と詰問《きつもん》の手紙をよこした。君自身兄であった。間もなく相見た時は、君もやゝ心解けて居たが、茶色の眼鋭く眉《まゆ》嶮《けわ》しく、熬々《いらいら》した其顔は、一見不安の念を余に起《おこ》さした。君は医学を専門にして居たが、文芸を好み高山《たかやま》樗牛《ちょぎゅう》の崇拝者で、兄弟打連れて駿州《すんしゅう》竜華寺《りゅうげじ》に樗牛の墓を弔うたりした。君の親戚が当時余の僑居《きょうきょ》と同じく原宿《はらじゅく》にあったので、君はよく親戚に来るついでに遊びに来た。親戚の家の飼犬《かいいぬ》に噛まれて、用心の為数週間芝の血清《けっせい》注射《ちゅうしゃ》に通うたなぞ云って居た。君はまた余に惺々《しょうじょう》暁斎《ぎょうさい》の画譜《がふ》二巻を呉れた。惺々暁斎は平素|猫《ねこ》の様につゝましい風をしながら、一旦酒をあおると欝憤《うっぷん》ばらしに狂態《きょうたい》百出当る可からざるものがあった。画帖《がちょう》の画も、狸が亀を押しころがしてジッと前足で押さえて居たり、蛇が羽《はば》たく雀をわんぐりと啣《くわ》えて居たり、大きな猫が寝そべりながら凄《すご》い眼をしてまだ眼の明かぬ子鼠の群を睨《にら》んで居たり、要するに熬々した頭の状態が紙の一枚毎にまざ/\と出て居た。安達君の贈物だけに、一種の興味を感じた。
 君は其年医学士になって郷里紀州に帰り、妻を迎え子をもうけ、開業
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