ぶ》ったが、次郎さんは成丈《なるたけ》父の背《せな》を弟に譲《ゆず》って自身は歩いた。次郎さんは到る処で可愛がられた。学課の出来も好かった。両三日前の大雪に、次郎さんは外套《がいとう》もなく濡《ぬ》れて牛乳を配達したので、感冒《かぜ》から肺炎《はいえん》となったのである。彼は気分の悪いを我慢《がまん》して、死ぬる前日迄働いた。死ぬる其朝も、ふら/\する足を踏みしめて、苦学仲間の某《なにがし》の室《へや》に往って、其日の牛乳の配達を頼んだりした。病気は早急《さっきゅう》であった。医師が手を尽した甲斐もなかった。次郎さんは終に死んだ。屍《しかばね》を踏み越えて進む乱軍《らんぐん》の世の中である。学校は丁度試験中で、彼の父が急報《きゅうほう》に接して駈《か》けつけた時、死骸《しがい》の側《そば》には誰も居なかった。次郎さんは十六であった。
やがて納棺《のうかん》して、葬式が始まった。調子はずれの讃美歌《さんびか》があって、牧師《ぼくし》の祈祷《きとう》説教《せっきょう》があった。牧羊者《ひつじかい》が羊の群《むれ》を導《みちび》いて川を渡るに、先ず小羊《こひつじ》を抱《だ》いて渡ると親羊《おやひつじ》が跟《つ》いて渡ると云う例をひいて、次郎少年の死は神が其父母|生存者《せいぞんしゃ》を導《みちび》かん為の死である、と牧師は云うた。
日が短《みじか》い頃で、葬式が家を出たのは日のくれ/″\であった。青山《あおやま》街道《かいどう》に出て、鼻欠《はなかけ》地蔵《じぞう》の道しるべから畑中を一丁ばかり入り込んで、薄暗《うすぐら》い墓地に入った。大きな松が枝を広げて居る下に、次郎さんの祖母《ばば》さんや伯母《おば》さんの墓がある。其の祖母さんの墓と向き合いに、次郎さんの棺は埋《う》められた。
「祖母さんと話《はなし》してる様だァね」
と墓掘《はかほり》の人が云う。
「祖母さんが可愛がって居たからナ」
と次郎さんの阿爺《おとっさん》が云う。
自身《じしん》子が無くて他人《ひと》の子ばかり殺して居る夫妻は、荒《すさ》んだ心になって、黙って夜道を帰った。
*
一月《ひとつき》あまり過ぎた。
梅から桜、八重桜と、園内《えんない》の春は次第に深くなった。ある朝庭を漫歩《そぞろある》きして居た彼は、
「吁《ああ》、咲《さ》いた、咲いた」
と叫んだ。其は庭の
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