じ》の木綿羽織だった。「乗れませんでしたか」「満員だった」「今車を呼んで来ます」「何、構わん、構わん」と翁が手を掉《ふ》る。然し翁の足つきは両三年前よりは余程弱って見えた。四五丁走って、懇意《こんい》の車屋を頼み、翁のあとを追いかけさせた。
 翁は斗満に帰ってから、実桜《チェリー》の苗《なえ》二本送って呉れた。其夏久しく気にかけて居た余作君の結婚が済《す》んだ事を報じてよこした。其秋の九月二十六日は雨だった。一周年前彼等が斗満に着いた其|翌日《よくじつ》も雨だった。彼はこんな出たらめを翁に書き送った。
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去年《こぞ》の今日《けふ》も斯《か》くは降《ふ》りきと秋《あき》の雨
    眺めて独君をしぞおもふ
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 程なく翁から其|雑著《ざっちょ》出版《しゅっぱん》の事を依頼して来た。此春翁と前後して北へ帰った雁《かり》がまた武蔵野の空に来《き》鳴《な》く時となった。然し春の別れの宣言の如く、翁は再び斗満を出なかった。秋から冬にかけて、翁は心身の病に衰弱甚しく、已に覚期《かくご》をした様であったが、年と共に玉《たま》の緒《お》新《あらた》に元気づき、わずかに病床を離るゝと直ぐ例の灌水《かんすい》をはじめ、例の細字《さいじ》の手紙、著書の巻首《かんしゅ》に入る可き「千代かけて」の歌を十三枚、著書を配布《はいふ》す可き二百幾名の住所姓名を一々|明細《めいさい》に書いて来た。翁にとりては此が形見《かたみ》のつもりであったのである。
「命《いのち》の洗濯《せんたく》」「命《いのち》の鍛錬《たんれん》」「旅行日記」「目ざまし草」「関牧場創業記事」「斗満《とまむ》漫吟《まんぎん》」をまとめて一|冊《さつ》とした「命の洗濯」は、明治四十五年の三月中旬東京|警醒社書店《けいせいしゃしょてん》から発行された。翁は其出版を見て聊《いささか》喜《よろこび》の言を漏《も》らしたが、五月初旬には愈《いよいよ》死を決したと見えて、逗子《ずし》なる老父の許《もと》と粕谷《かすや》の其子の許へカタミの品々を送って来た。其は翁が八十の祝《いわい》に出来た関牧場の画模様《えもよう》の服紗《ふくさ》と、命の洗濯、旅行日記、目ざまし草に一々|歌《うた》及《および》俳句《はいく》を自署《じしょ》したものであった。両家族の者残らずに宛《あ》てゝ、各別《かくべつ》に名前を書
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