、鶏は生かして置こうじゃァないかと、到頭其まゝにして置いた、と云う逸話を話した。梁川君は首を傾《かし》げて聴いて居たが、「面白いな」と独語した。一座の話は多端に渉ったが、要するに随感随話で、まとまった事もなかった。唯愉快に話し込んで思わず時を移し、二時間あまりにして西田君列と前後に席を立った。
 其れから其足で三崎町の東京座に往って、舞台裏《ぶたいうら》で諸君のあとから彼もブース[#「ブース」に傍線]大将の手を握るの愉快を獲た。大将は肉体も見上ぐるばかりの清げな大男で、其手は昨年の夏握ったトルストイ[#「トルストイ」に傍線]の手の様に大きく温《あたたか》であった。午後には梁川君と語り、夜はブース[#「ブース」に傍線]大将の手を握る。四月十六日は彼にとって喜ばしい一日であった。嬉しいあまりに、大将の演説終って喜捨金集めの帽が廻った時、彼は思わず乏しい財布を倒《さかさ》にして了うた。
 其後梁川君とははがきの往復をしたり、回光録を贈ってもらったりしたきり、彼も田園の生活多忙になって久しく打絶えて居た。そこで此訃は突然であった。精神的に不朽な人は、肉体も例令其れが病体であっても猶不死の様に思われてならなかったのである。梁川君が死ぬ、其様《そん》な事はあまり彼の考には入って居なかった。一枚の黒枠《くろわく》のはがきは警策の如く彼が頭上に落ちた。「死ぬぞ」と其はがきは彼の耳もとに叫んだ。

           *

 梁川君の葬式は、秋雨の瀟々《しとしと》と降る日であった。彼は高足駄をはいて、粕谷から本郷教会に往った。教会は一ぱいであった。やがて棺が舁き込まれた。草鞋ばきの西田君の姿も見えた。某嬢の独唱も、先輩及友人諸氏の履歴弔詞の朗読も、真摯なものであった。牧師が説教した。「美人の裸体《らたい》は好い、然しこれに彩衣《さいい》を被《き》せると尚美しい。梁川は永遠の真理を趣味滴る如き文章に述べた」などの語があった。梁川、梁川がやゝ耳障《みみざわ》りであった。
 彼は棺の後に跟《つ》いて雑司ヶ谷の墓地に往った。葬式が終ると、何時の間にか車にのせられて綱島家に往った。梁川君に親しい人が集って居て、晩餐の饗があった。西田君、小田君、中桐君、水谷君等面識の人もあり、識らない方も多かった。
 新宿で電車を下りた。夜が深けて居る。雨は止んだが、路は田圃《たんぼ》の様だ。彼は提灯《ちょう
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