に置いたのであった。其れを爺さんが苅ってやると云う。頭を掻いて断わると、親切を無にすると云わんばかり爺さんむっとして帰って往ったこともある。最早《もう》楢茸が出ても、味噌漉しかゝえて、「今日は」と来る腰の曲った人は無い。
四
燻炭《くんたん》肥料《ひりょう》と云う事が一時はやって、芥屑《ごみくず》を燻焼《くんしょう》する為に、大きな深い穴が此処其処に掘られた。其穴の傍で子を負った十歳の女児《むすめ》と六歳になる女児が遊んで居たが、誤って二人共穴に落ちた。出ることは出たが、六になる方は大火傷《おおやけど》をした。一家残らず遠くの野らへ出たあとなので、泣き声を聞きつける者もなく、十歳になる女児《むすめ》は叱《しか》られるが恐《こわ》さに、火傷した女児を窃《そっ》と自家《うち》へ連れて往って、火傷部に襤褸《ぼろ》を被《かぶ》せて、其まゝにして置いた。医者が来た頃は、最早手後れになって居た。墓守が見舞に往って見ると、煎餅《せんべい》の袋なぞ枕頭に置いて、アアン※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]|幽《かす》かな声でうめいて居た。二三日すると、其父なる人が眼に涙を浮めて、牛乳屋が来たら最早|牛乳《ちち》は不用《いらん》と云うてくれと頼みに来た。亡くなったのである。此辺では、墓守の家か、博徒の親分か、重病人でなければ牛乳など飲む者は無い。火傷した女児は、瀕死の怪我で貴い牛乳を飲まされたのである。父なる人は神酒《みき》に酔うて、赤い顔をして頭を掉《ふ》る癖《くせ》がある人である。妙に不幸な家で、先にも五六歳の女児が行方不明で大騒《おおさわ》ぎをした後、品川堀から死骸になって上ったことがある。火傷した女児の低いうめき声と、其父の涙に霑《うる》んだ眼は、いつまでも耳に目にくっついて居る。
牛乳と云えば、墓守の家から其家へとしばらく廻って居た配達が、最早其方へは往かなくなった。牛乳をのんで居た娘は、五月の初に亡くなったのである。墓守夫婦が村の人になった時、彼女は十一であった。体《からだ》を二ツ折にしてガックリお辞儀するしゃくんだ顔の娘を、墓守夫婦は何時となく可愛がった。九人の兄弟姉妹の真中《まんなか》で、あまり可愛がられる方ではなかった。可愛がられる其妹は、姉の事を云って、「おやすさんな叱られるクセがある」と云
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