思われて、つらくてなりません。昔先生が命をかけて惚《ほ》れられた美しい素直なソフィ[#「ソフィ」に傍線]嬢は、斯様《こん》な心の香《か》の褪《うつろ》った老伯爵夫人になってしまわれたのでしょう乎。其れから先生|逝去《せいきょ》後の御家の挙動《ふるまい》は如何です? 私はしば/\叫びました、先生も先生だ、何故《なぜ》先生は彼様な烈しい最後《さいご》の手段を取らずに、犠牲となって穏《おだやか》に家庭に死ぬることが出来なかっただろう乎、あまりに我強《がづよ》い先生であると。然し此は先生がトルストイ[#「トルストイ」に傍線]である事を忘れたからの叫びです。誰にでも其人|相応《そうおう》の生き様《よう》があり、また其人相応の死に様があります。トルストイ[#「トルストイ」に傍線]の様な人でトルストイ[#「トルストイ」に傍線]の様な境遇にある者は、彼様な断末魔《だんまつま》が当然で且自然であります。少しも無理は無い。余人にあっては兎も角も、先生にあっては彼様《ああ》でなくては生の結末がつかぬのです。一切の人慾《じんよく》、一切の理想が恐ろしい火の如く衷《うち》に燃えて闘《たたこ》うた先生には、灰色《はいいろ》にぼかした生や死は問題の外なのです。あなたに対する真《しん》の愛から云うても、理想に対する操節《そうせつ》から云っても、出奔《しゅっぽん》と浪死《ろうし》は必然の結果です。仮に先生が其趣味主張を一切胸に畳《たた》んで、所謂家庭の和楽《わらく》の犠牲となって一個の好々翁《こうこうおう》として穏にヤスナヤ、ポリヤナ[#「ヤスナヤ、ポリヤナ」に二重傍線]に瞑目《めいもく》されたとして、先生は果してトルストイ[#「トルストイ」に傍線]たり得たでしょう乎。其死が夫人《おくさん》、あなたをはじめとして全世界に彼様《あん》な警策《けいさく》を与えることが出来たでしょう乎。彼《あの》最後《さいご》彼|臨終《りんじゅう》あるが為に、先生等身の著作、多年の言説に画竜《がりゅう》の睛《せい》を点《てん》じたのではありますまい乎。確に然です。トルストイ[#「トルストイ」に傍線]は手軽に理想を実行してのける実行家では無い、然しトルストイ[#「トルストイ」に傍線]は理想を賞翫《しょうがん》して生涯を終《おわ》る理想家で無い、トルストイ[#「トルストイ」に傍線]は一切の執着《しゅうちゃく》煩悩《ぼんのう》
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