と猟銃を手にしてゐた。もうさいぜんの秘密めいた酒の小瓶は何処にしまつたのか見当らなかつた。
「いや、お邪魔をしました」男は私にそれだけ云つてから、今度はひとりごとのやうに、「夜明けまで、火に暖まつてゆかなくちや」と呟いた。思ひがけないやうな山間で、汽車がごくんと停ると、男は静かに降りて行つた。
その日の午后は、私は、飯綱原を走つてゐる乗合の客になつてゐた。
寒さの早いこのあたりでは、もう紅葉の時機はすぎて、黄色くす枯れた林は、奥の方まで見透された。
車中は例によつて、いろんな人が乗つてゐた。鞄を持つた医者、子を負つた女、そんな中に、お巡りさんも一人ゐた。
お巡りさんは、人のよささうな感じで、隣の人と世間話などしてゐたが、やうやく、戸隠の峯々が見え初めたころ突然、車中で立ち上つた。窓から何物かを探しもとめるらしかつた。
すると隣にゐた農人は、すぐ、「入り込んだらしいかね」と声をかけた。お巡りさんは、それには返事をしなかつた。お巡りさんは林の方を眺めてゐる、かと思ふと、美しく晴れた空の方にも目をやつた。
「やっぱり今のはさうかね」農夫は自分ものび上るやうにして、もう一度声をかけた。
「しやうのねえ奴だ」お巡りさんはやつと返事をした。さうして、今迄の笑顔は消えて、その面持は、一寸曇つてゐた。
車中の小事件はそれだけであつた。私には何のことか、よく分らなかつた。
坊の主人と、晩飯のあと、炉端で岩魚釣りの話をしてゐた。
岩魚釣りも、カーバイトを燃やして、夜釣りをやる、これは中々面白いが、寒くなると川の中を歩くのはたいへんだ、全身が冷え切つてしまふ、もう駄目ですねと、話してくれる。私は思ひ出したやうに、火を掻きたてゝ主人の言葉に耳をかしてゐた。
すると、突然、表の戸をたゝくものがあつた。主人が立つて行つて、障子を明ると、土間の入口に、二人の服装の違つた人が立つてゐた。
眼鏡をかけた方の人は、早速云つた。
「署の者ですが、お宅には、猟師は泊つてゐませんか」
この人達はお巡りさんであつたのだ。
「御覧の通りです、別に居りません」
主人がさう云つて答へると、二人は別にそれ以上詳しくはきかなかつた。
「今夜は風が強いですね、御苦労様」
主人は表戸をしめると、また炉の傍に戻つてきた。
「どうやら、密猟者が山に入り込んだと見えますね」
主人はさう云つた。
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