いでをしてゐた。それから、つと、萩の一株にちかづくと、無心に花を摘み初めた。私は知つてゐるぞ、自分が見てゐるぞと心の中で思つた。すると、突然、萩盗人の少女は、私の方に向き直つた。折からの一際《ひときわ》冴えた月の明りに、少女は一寸地蔵眉をよせると、萩の小枝を二本、頭の上に翳《かざ》して、「萩の花はおきらひ?」と尋ねかけた。心持首をかしげてゐる。私の答へがないのを知ると、少女は手にしてゐた小枝を惜しげもなく捨てて、双の手を背後で組み合せるやうな姿態を作つた。と見るとまるで手品師のやうに、今度は片方の手に一輪の真紅な花を提げてゐた、「ダーリヤはおきらひ?」少女はその一輪をまた髪の上に翳して見せた。首を前よりも一層かたむけて。私はそのとき、知つてゐる、貴女は誰だか知つてゐる、さう云つて、危ぶなくその名を口にしようとした。すると、少女は、まるで現在からするりと脱け出るやうな素振りをした。その後は、私の夢のなかでも一片の雲の陰影《かげ》が射したやうに、もうまるで憶えてゐなかつた。
私の夢は、もうそれとは何の脈絡もなく、他のものに移つてゐた。
私は、引手の金具に紫の総のついた、重さうな書院の襖
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