ね」と云うと、「いいえ、年するとね」そう答えて一向に平気そうである。
店の番をしながら、暇をみて蕈を採る、採った蕈は中社まで持って帰り、あちらこちらの坊の厨房《くりや》にわけてやるのだと云った。
越後の海も一度見たいね、だがそれよりも孫が長野で教員をしているから、その方に行ってみたい、善光寺に行くには、余程朝早く立たないとね、そう云って話しかける。お婆さんのような丈夫な足なら、すぐ行かれるよと云うと、老婆はいかにも嬉しそうに相好を崩した。
私の宿った坊では、月夜の晩にはきまって蕎麦を打った。
蕎麦は更科と云うけれども、信州蕎麦のほんとに美味しいのはこの戸隠飯綱の原を中心とするあたりで、この地方に多い麻畑は刈りとってしまった後は、みんな蕎麦畑になるのである。
山の月をみるためには、畳を敷いた坊の廊下に、薄や吾木香が供えられた。
蕎麦を打つのは、家内総出であって、少年と雖ども心得ている。もっとも、少年少女の場合は、蕎麦打ちを手伝うひまに、こっそり蕎麦粉を盗んで、あたかも粘土細工のように牛や犬の動物を作ったり、鳥居をこさえたりするのが、楽しみなのである。蕎麦の玩具は戸隠の子供部屋の雛様である。
坊の娘が片方の手に蕎麦を入れたザルを持ち、一方の手にお膳を持って、月のいい晩にやってきた。
「お蕎麦がおいやなら、こちらに御飯も御座います」
蕎麦は色が黒いが、口触りがまことによい。山中の夜はそれを口にすると、何かひやりとした感触がある。
娘はいつも着物を長目にきるので、歩くたびに、かすかな衣ずれがする。書院作りの広い間を二つ三つ通りすぎて行く足音は、まるで燭の火で足もとを見つめて行く、昔の人のそれのようである。
「お蕎麦を召上ったら、御庭に出て御覧なさい」と云う。「私共もこれからお月さまを拝みに参ります」
山中の月の出は晩いときいたが、庭に出て見ると、いつのまにかうっすらした光が射していた。海抜幾千尺、庭の萩の花が咲き乱れていた。一つびとつの小さな花は秋の眸のように鮮やかであった。
坊の娘は何処でお月さまをおがんでいるのか、一向に姿を見せなかった。
底本:「日本の名随筆19 秋」作品社
1984(昭和59)年5月25日発行
底本の親本:「津村信夫全集 第二巻」角川書店
1974(昭和49)年11月
入力:小鍛治茂子
校正:林幸雄
2003年
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