日駿河灣の方から箱根山彙を越して吹いて來る西南の風は涼しいといふよりも寒いほどの雨氣を含んでゐた。殊に私の滯在してゐる海拔二千五百尺の蘆の湯のあるところは、すぐ浴舍の後に聳え立つ駒ヶ岳と双子山との峽になつてゐるので、蘆の湯から双子山の麓を巡つて元箱根の町のある方に降りてゆく一と筋の坦道、鶯坂といつて八月の半ばまで箱根竹の叢藪の中で一日鶯の鳴きしきつてゐる、坂のあるあたりは蘆の湖の水を含んだ冷い雨風が顏をも向けられないやうに強く吹いてゐた。湯疲れのした湯治客などが毎日の雨天に球突にも碁や將棋にも飽いて、浴衣のうへに貸し褞袍を重ねて番傘を翳しながら其處らを退屈さうにぶら/\歩いてゐたりするのを見掛けるが、彼等は少し歩くと詰らないので、すぐ引返へしてしまふ。そこになると日本人に比べて西洋人は男も女も實に感心するほど勇ましく活溌である。彼等は雨が降らうが何が降らうが第一着物がすつかり防水の用意が出來てゐるので雨天には雨天の身裝をして晴天と同じやうに一日も缺かさず運動をする。彼等は病人か何かでない限り温泉はなくとも多く蘆の湖畔に避暑してゐる。そして定つて毎日そこら中の山道を跋渉する、私が散歩してゐると毎日よく見る其ある二三人づれの婦人など、どれも縹緻は好くない女達であつたが、靴の上に草鞋を穿いて雨中の山道を歩いてゆくのであつた。どうかすると夜道を湖水まで歸つてゆくので懇意な店屋に寄つて、店頭から、
「提燈々々。」と呼ぶ。
 すると世辭のいゝ、そこの内儀や娘は尻輕に立ち上つて、
「奧樣、まあお遲くから。これからお歸りになるのは大變ですねえ。」
 などゝ言ひつゝ、手早く大きな文字で屋號を記した提燈を取つて蝋燭に火を點しながら渡すと、
「おゝ、大變々々。ありがたう。」
 などゝアクセントの違つた日本語を店頭に殘しておいて歸つてゆく。
 その時分からずつと九月の末まで五十日ばかりの間雨天の日の方が多かつた山の上でも、偶《たま》には清い初秋の風が習々と高原を吹いてゆくやうな美しい日に出會ふことがあつた。この模樣なら明日もまた雨であらうとおもつてゐて翌朝起きてみると陰晴定めない高い山の上は相模灘の方から朦々として湧き上つて來る白い水蒸氣に峯も溪も人家も埋つてしまひ、わづかに大空の眞中のところが少許り明るい日光を洩してゐるばかりである。さういふ日は山の上の天氣は今日は好晴であることが分る。
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