ば見るほど女が好くってたまらない。
すると主人は、
「そやから、このままにはしまへんというています。姉さんには私が必ず後で逢わせますよって、ちょっと私の家へ往とっておくれやす」と万事飲み込んだようにいう。
それで私も物わかりよく素直に、
「それではあなたにおまかせしておきます」と、きっとした調子でいって、起《た》ち上がりかけると、彼女はどう思案したものか、静かに坐ったまま、やっと口を切って、「あんたはん、ほんなら、これから松井さんへ往て話しとくれやす」と、きっぱりした調子でいう。
それで、私は一旦起ちかけた腰をまた下ろしながら、
「うむ、それもよかろう。松井さんへ往けというなら、あそこへ往って、あそこの主人に話を聴いてもらうのもわるくはないが、あんたも私と一緒に往くか」
そういって訊くと、女はそれきりまた黙ってしまって返事をしない。
「お前が一緒に往くなら私も往く。さあ、どうする」
傍にいる越前屋の主人は、その時口を入れて、
「それがよろしいやろ。ほんならそうおしやす。私も何や、途中から入って、前の委《くわ》しいことはちょっとも知らんのどすさかい。お隣りにいて、黙って見てもいられまへんよって、何とかお話をしてみようと思うたのどすけど、松井さんやったら、よう、今までのことも知ってはりますやろから」
「わたし後で往きますよって、あんたはん先き往とくれやす」と、やっぱり落ち着いた調子でいう。
私は頭振《かぶ》りをふって、
「それじゃいけない。私を先きに出しやっておいて、ここからまた閉め出そうとするのだろう。今晩はもうその手は喰わないんだから」
「そんなことしいしまへん。あんたはん一足先きいてとくれやす。わたしちょっと遅れて往きます」
「ああそうか、たしかに来るね?」
「ええ往きます」
隣家《となり》の主人も、長い間の入りわけを知っている、以前《まえ》の主人のところに往って話を聴いてもらうのが一等よかろうと言ってすすめるので、私はその気になって起って庭に下りようとすると、さっきからまるで狂気になって、何か彼かひとり語《ごと》をくどくどと繰り返して饒舌《しゃべ》りつづけていた母親は、私が立って上り框から庭に下りようとするのを見て、
「貴様ひとりで、勝手にさっさっとうせえ。内の娘《こ》はそんなところへ出て往く用はない」といって、またいつもの悪態を吐《つ》く。
それを聞くと、私は、とても箸《はし》にも棒にもかからぬわからずやだとは、承知しているので、もう、なるべく母親とは、何をいわれても、口を利かぬ、相手にもせぬようにしておろうと堪《こら》えていても、やっぱり堪えきれなくなって、私は、上り框に下りかけたまま、
「何をいう」と、そっちを振り顧《かえ》って、「きっと、そんなことだろうと思っているのだ。よし、そんならもういい。もうどんなことがあってもここを立ち退《の》かないのだから、いつまでもここに居据《いすわ》っていましょう。……お隣りの親方、御免なさいよ」と、いって、私はまたもとの座に戻って坐った。
すると越前屋の親方は、
「まあ、ほんなら、兄さんちょっと私のところへ往てとくれやす。私が引き受けて一応お話をしてみますよって。お母はんも、もう、ちょっと静かにしてとくれやす。隣家《となり》が近うおすよって。そのことは私が、後でよう聴かしてもらいます」
と、いって、双方を宥《なだ》めようとする。
それで私はまた物わかりのよい子供のように素直に、隣家の主人のいうことを聴いて、
「それではちょっとお宅へ往ってお邪魔をしていますから、どうぞよろしく頼みます」といって出てゆこうとしながら、じっと女の方をなおよく見ると、平常《ふだん》から大きい美しい眼は、今にも、ちょっと物でも触《さわ》れば、すぐ泣き出しそうに、一層大きくこちらを見張って、露が一ぱい溜《たま》っている。私はその眼に心を残しながら、合壁《あいかべ》の隣家へ入っていった。
四
そこの家《うち》も、女の家と同じ造りで三間《みま》の家であったが、もうこの間から、そのことで、ちょいちょい顔を見合わして、口も利《き》いている七十余りの老婆は酒が好きと思われて中の茶の間の火鉢の前に坐って、手酌《てじゃく》でちびりちびり酒を飲んでいた。もう大分|上機嫌《じょうきげん》になっていたが、見るから一と癖も二た癖もありそうな、癇癪《かんしゃく》の強いぎょろりとした大きな出眼の、額から顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》のあたりが太い筋や皺《しわ》でひきつったようになって、気むずかしいのは、言わずと知れている。
そこには、その老婆のほかに主人の若い女房がいて庭に立ち働いていたり、主人の妹らしい三十くらいと二十《はたち》余りの女が来合わしていたりして、広くもない座
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