たが、そのついでに前日女に向って訊いたようなことを重ねて母親に話しかけてみたけれど、
「さあ、どないなっていますことどすか、私はこうしてあの娘《こ》に養うてもろうてる身どすさかい、何もかもあの娘がひとりで承知してるのどすよって、あんたはんから、また機《おり》をお見やしてよういうて聴かしとくれやす」といって、彼女自身では、娘の体のことについての金銭の出入りのことなど委しく知らぬような口ぶりであったが、
「屋形の主人さんもあんたはんのことを昨夜もそういうてはりました。おかあはん、その方大事にしてお上げやす、自分で来ずと、金だけ長い間送って越すというのはよほど量見が広うないと出来んことやさかい。そない言うてはりました」
 母親はそういって、私を喜ばすようなことをいっていた。私もそのとおりに聴いていた。
 今日はついでに花にでも行くのかと思っていたら、女はその晩屋形から早く戻ってきたが、昨日から何となく沈んで眉根を顰《しか》めたようにしていたのが、帰ってくると、にわかに打って変ったように好い気分になっていた。
 私も、二人が大事にしてくれるからといって、あまり好い気になって、いつまでもそこにいては外聞もあるし、母子の者が迷惑するであろうとは思いながらも、居心が好いので、すっかり心が落ち着いていた。女も打ち融けて、よく、私が凭っている机の傍に来て坐って、自分もそこで楽書きなどをしたりしてよく話していた。そして、そこが居心地の好いことを私がまたしても繰り返していうと、
「そんなによかったら、ここをあんたはんのまあにしときまひょうか」
「まあとは。……ああ間《ま》か、ああどうぞ居間にしておいてもらいたい」
などといっていたが、日は瞬く間に経《た》って、そこに来てから半月ばかりして、私は六月の中旬しばらく山陰道の方の旅行をしていた。けれど、梅雨《つゆ》のころの田舎《いなか》は悒欝《うっとう》しくって、とても長くは辛抱していられないので、京都の女のいる二階座敷の八畳の間が、広い世界にそこくらい住み好いところはないような気がするので、いずれ夏には紀州の方の山の上に行くつもりではあるが、一週間ばかりして、またそこへ舞い戻って来た。
 その日は欝陶《うっとう》しい五月雨《さみだれ》のじめじめと降りしぶいている日であった。ステーションからすぐ俥《くるま》で女の家に帰って来て、薄暗い入口をはいって、玄関から音なうと、階下《した》の家主の老女はもとより、上も下も家中みんな留守と思われるほどひっそりとしている。それでも黙って上がって行くのは厚かましいようで、二、三度大きな声をかけると、やがて階段を下りて来る足音がして、外から開《あ》かぬように、ぴたりと閉《し》めた奥の潜戸《くぐり》の彼方《むこう》で、
「どなたはんどす」という、母親の声がする。
「私、わたしです」というと、潜戸をそっと半分ほど開けながら母親が胡散《うさん》そうに外を覗《のぞ》くようにして顔を出した。そして、その瞬間、先だって中の待遇から推して期待していたような、あまり好い顔をして見せなかった。
「私です。今帰りました」というと、
「ああ、あんたはんどすか」といったが、「さあお上がりやす」というかと思っていると、「ちょっと待っとくれやす。今ちょっとお客さんどすよって」
といって、ちょうど留守でいない階下の家主の老婆の表の六畳の座敷に案内して、「どうぞちょっとここでお待ちやしてとくれやす」といって、私をそこに置いといて、間《あい》の襖《ふすま》をぴしゃりと閉めて、自分は二階へ上って行った。
 するとしばらく待つ間もなく母親と入れちがいに女がそこへ入って来て、笑顔を作りながら、
「おかえりやす」と懐かしそうにいって、私の膝《ひざ》の前に近く寄ってぺったり坐った。そして二言三言口をきき交わしているうちに、客というのが襖の外の茶の間を通って、中庭から帰ってゆくと思われて、母親も後から入口まで送って出たらしい。私は、何の気もなく、どんな人間が帰ってゆくのかと思って、ちょっと起ち上がって縁側の障子を開いて、小さい前栽《せんざい》と玄関口の方の庭とを仕切った板塀《いたべい》の上越しに人の帰るのを見ると、蝙蝠傘《こうもりがさ》を翳《かざ》して新しい麦藁《むぎわら》帽子を冠《かぶ》り、薄い鼠色《ねずみいろ》のセルの夏外套《なつがいとう》を着た後姿が、肩から頭の方の一部だけわずかに見えたばかりで、どんな人間かよく分らなかった。
 そこへ母親も入って来て、
「お帰りやす」と、今度はいつかのとおりに愛想のよい調子で、あらためて挨拶《あいさつ》をしながら、「今ちょっと知った呉服屋さんが来てましたので、あんたはんまた顔がさすと悪い思うて、ちょっとここで待ってもらいましたんどす。……階下《した》のお婆さんも今日は出やはりま
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