なつて聞えるのである。それより心地よいクッションにまづ腰を落着けつゝ今宵一夜を共に此處に明かすべき同車の旅の人々の知らぬ容貌風采、さては一歩想像を深めて、それ等の職業、運命などについて考へてみるのもまた一興である。此の際に於ける私の注意の働きと、想像の奔放なることは、到底歌舞伎座や帝國劇場などにあつて死劇を觀てゐる比ではない。
やがて夜行列車は、寢つ起きつする間に翌朝の午前六時を少し過ぐる頃無事に名古屋に着く。私は昨夕東京を立つとき伊賀《いが》の上野《うへの》までの乘車券を買つてゐたので、そこで關西線の湊町ゆきの二番が發車するのを待つ間二時間ばかりに輕い朝食を取つたり、電車を利用してちよつと名古屋の街の一角を窺《のぞ》いて見るであらう。實は多年の宿望なる、関ヶ原、古の不破の關所のあつたあたりのわびたる野山、村里の秋景色をも歩いて見たいのだが、それは今は割愛して豫定のとほりに、やがて湊町ゆきに乘つて午前八時二十三分發で伊勢路に向つて旅をつづける。
桑名《くはな》、四日市《よつかいち》は昨夕の殘睡のうちにいつしか通りすごして、車道は漸う/\四山の群がる間をわけ登るに、冬近き空の氣色定めなく、鈴鹿《すずか》は雲に隱れて嘘のやうな時雨がはら/\と窓を打つてきた。行方なき風雲の、先きを急ぐ旅でもないので、かういふ日にこそ廢驛を眺めわびたいとおもつて、待夜の小室節關の小萬で名の高い關の驛で汽車を棄てる。まだ十時半過ぎたばかりなので早い。
今夜はこの處に一夜逗留して見たいと思ふが、名匠|狩野元信《かのうもとのぶ》が、いくら巧に描いても繪は到底自然生えの杉の美しさには比ぶべくもないと浩歎を發して繪筆をとつて、投げ捨てたと傳へられる筆捨《ふですて》の溪も遠くはない。殊にこのわたりの杉は自然を見る眼の常人に卓絶してゐた審美眼を感動せしめたも無理からぬほどに美しい。それで停車場の車夫に掛合ひつゝ、有名な地藏尊は歸途に殘して、まづ筆捨山に向ふ。時雨れて濟むほどの雨ならば、行々かの恐ろしきローマンスの傳はる坂下より昔の鈴鹿峠を越えて、江州に入り、「阪は照る/\鈴鹿は曇る。あひの土山《つちやま》雨が降る。」てふ郷曲の風情を一人旅の身にしめながら土山までのり、その晩は遂にいぶせき旅籠《はたご》に夜を明し、翌日は尚ほ三里の道を水口までゆき、貴生川《きぶかは》を經て汽車を利して柘植《つげ》に※
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