うじ》をしてもらって食ぺていると、まるで御飯が咽喉《のど》へ飛び込むようであった。女というものは恐ろしいものだが、どうしてまたこうお腹《なか》の具合を良くするものであろう。それに比べると医者からもらった胃の薬なんざあ駄目《だめ》だなあと思った。
お宮は五円札を一枚やると嬉《うれ》しさを押し包むように唇《くち》をきゅっと引き締めて入口まで送って出た私の方を格子戸《こうしど》を閉めながらさも思いを残してゆくような嬌態《しな》を見せて、
「さようなら!」と、眼を瞑るようにしながら猫のような繊細《かぼそ》い仮声《つくりごえ》をして何度も繰り返しながら帰っていった。
私は急いで二階に駆け戻って、お宮の帰ってゆく姿の見られる西側の小高い窓を開いてそっちの方を見送ると、今しもお宮は露路口の石段を上って表の通路《とおり》に出で立ちながら腰帯の緩《ゆる》みをきゅっと引き締めながら、
「これから帰ってまた活動するんだ」と、いわぬばかりに鬼の首をも取らんず凄じい様子で眼八分に往来を見おろして歩いていった。
それを見て私は浅ましい考えにつづいて厭らしい気がした。
加藤の家に来てから柳沢の家とはすぐ目と鼻とであったが、お宮がちょいちょい私の二階に泊りに来るようになってからは、一層気をつけて柳沢の家へは立ち寄らぬようにしていた。たまにそれとなく入っていって柳沢の留守に老婢《ばあ》さんと茶の間の火鉢《ばち》のところで、聞かれるままにお前の噂《うわさ》ばなしなどをしたりして、ついでに柳沢の遊ぶ話など老婢さんが問わず語りにしてきかすのをきいても、それからお宮のところへはあまり凝ってゆかぬらしい。
私は、とにかくにお宮を自分の物にしたような気になっていた。
三日ばかり間を置いて、お宮が病気で休んでいるという葉書をよこしたので、私は親切だてに好い情人《いろおとこ》気取りで見舞かたがた顔を見にいった。
平常《ふだん》でさえ賑《にぎ》やかな人形町通りの年の市はことのほか景気だって、軒から軒にかけ渡した紅提燈《べにぢょうちん》の火光《ほかげ》はイルミネーションの明りと一緒に真昼のように街路《まち》の空を照らして、火鉢や茶箪笥《ちゃだんす》のような懐かしみのある所帯道具を置き並べた道具屋の夜店につづく松飾りや羽子板の店頭《みせさき》には通りきれぬばかりに人集《ひとだか》りがしていた。
他人になっ
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