袢纒、頬被りといふ凝つた職人姿は藝者が多かつた。
 中には男物の白絣で、いかつく見せるためか肩をまくつたのもゐたが、さうすると白いふくらんだ腕がよけいに露れてすぐ女だと知れる結果になるのもあつた。男が女の姿をしたのは、背がいやに高かつたり、いかにも女らしくやさしい踊りの所作をする腕が眞黒で筋張つてゐたりした。いづれにしても頬被りをしたのや、更にその上に深い千鳥型の編笠を被つてゐるのやで、踊り手の方から見物人は判つても、見物の側からは踊り手が皆目判らなかつた。見てゐる方では、眼の前を踊りながら過ぎる人を、あれは誰らしいと云ひ合ひ、判らないとぐるぐるついて※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて顏をのぞきにかゝるのだが、踊り手はなほのこと隱すやうにする、それが面白かつた。時々ぽかんと見てゐると、踊り手の中から急にこちらの鼻をつまみにかゝつたり、肩をついたりする。知つてる奴にちがひないが、判らない。
 が、時間がたつうちにはそれも大半は見當がついてしまふ。何しろ、見物人は踊り手を見分けるのに夢中なのだから。凝つた奴は、一度さとられたとなると、急いで家にひきかへして又姿を變へて出て來るのがあつた。
 或る夏、私の町に東京の大相撲が巡業に來たことがある。その取的らしいのが二三人めづらしさうに見物してゐたが、踊り手の中には私達のよく行く理髮店の若い主人が女の姿でゐた。その男は背もあまり高くなく小肥りで色も白かつたから、見たところまるで女としか見えなかつた。私達には身體つきで間もなく判つた。ところが、その若い女の姿をした彼が、惡戯氣を出して、お相撲さんの袖を踊りながら引くのだ。お相撲さんたちはてつきり女だと思つたらしい。面喰つたやうな、うれしさうな顏をして、しばらくはその踊り手について※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]るのを私達は苦笑しながらも教へるわけにもいかなかつた。
 御愛嬌ではあつたが、その變裝した連中はあまりうまい踊り手ではなかつた。この盆踊りには昔から一定した服裝があつた。それは千鳥笠に白い紙片を結んで垂らし、紺の股引にやはり紺足袋、白緒の草履ばき、尻はしより、といふのである。さういふ恰好をして出るのは老人に多かつたが、何とも云へぬ澁味のあるもので、又その姿をした連中はきまつて踊りがうまかつた。振りは同じことなのだが、まるでちがつた踊りに見えるほど優美で垢拔けがしてゐた。藝者なんかも隨分まじつたが派手なだけで、その踊りにくらべることもできなかつた。
 そして、さういふ姿の人達はほんとうに踊りを樂しみに出るらしく、見物人をつゝいたりふざけたりはせず、頃合ひの時間に靜かにどこかの家蔭から現はれ、踊りの輪に加つて、默つて踊りに身を入れ、やがて來た時と同じにそつと歸つて行つた。かういふ姿と踊りの美しさは永い間に造り上げられ、又自然と亡びて行くので、たとへば壺だの皿だのいふやうな民藝品のやうに保存法を講ずることもむつかしいだらうが、出來ることなら保存させたいと思ふ。それほど、あれは見てゐて美しく、氣品があつた。
 この盆踊りも私が二十歳時分には段々とやかましく取締られるやうになり、最近又盛んになつたとも聞くが、風紀のこともこの頃ではさう心配することはあるまいと思ふ。弊害よりもその與へる樂しみの方がはるかに大きいだらう。私なんかは、今もつてあの踊りの美しさを忘れかねてゐるし、東京に住んで思ひ出したゞけでも幸福な氣持になるのである。



底本:「日本の名随筆19 秋」作品社
   1984(昭和59)年5月25日第1刷発行
底本の親本:「田畑修一郎全集 第三巻」冬夏書房
   1980(昭和55)年10月
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2006年8月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田畑 修一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング