ればお陽様が東に出るのと同じ位にあたり前のことだつた。だが、実を云ふと、徳次は生れ落ちるとからと云つていゝほど徹頭徹尾「河育ち」だつたのである。彼は、どの淵にはどんな魚の巣があるかも知つてゐた。魚の通る路も、その休憩場所も知つてゐた。鮎の寝床も知つてゐて、夜河で岩から岩へつたひながら、手づかみする位は造作もないことだつた。夏場になると朝から日暮方まで川につききりなので、大抵の子供も町を中心にして一里位の川の様子はすつかりのみこんでゐたが、徳次は早くから親父の船頭を手伝つてゐたお蔭で、河口まで七八里の間のそれこそ川底まで知りつくしてゐた。そんな風だから、先の見込があらうとなからうと、彼は河から離れる気はなかつたのである。さういふことを考へる才覚もなかつた。したがつて貧乏だつた。子供はたくさんゐた。彼の妻は河より他に稼ぎ場所を知らない夫の代りに、手ごろの畑地を借り受けて百姓仕事を働いた。だが、河から上つてゐるときの徳次は、金があつてもなくても破れ畳の上に悠然とあぐらをかいて、垢だらけの子供を肩にしがみつかせたり足にからませたりしながら酒を飲んだ。
酔つぱらふと家にぢつとしてゐられない性分だ。ひる間だらうと、夜ふけ近からうと、ふらりと表に出かける。たまに、子供が、
「おとうちやん、どこへ行くの」
と後を追ふと、徳次は
「うん、寄りがあるからな、あんたはうちに帰つとんなさい」
と、ふしぎに叮寧な言葉使ひになりながら、鼻汁と埃とがごつちやになつて真黒になつた子供の方にしやがみこんで、家の方へ向きを変へてやる。
それから、ゆらりと歩き出すのだ。どこへと云ふことはない。足の向く方へ、と云ふよりは身体の揺れる方へ歩いて行く。背は恐しく高かつた。それに、両腕と肩から胸にかけては著しい筋肉の発達を示してゐた。その美事な身体にもかゝはらず、全体としての印象には、貧しい境涯に生ひ育つた者に特有な、一眼で相手を信じこむやうな単純さと同時に、絶えず自分の居場所を気に病んでゐるやうな臆病さが雑居して感じられた。酔ふと、それが極端に目立つて来る。つまり、誰彼となく話しかけたくて仕様がなくなるし、同時に、相手に莫迦《ばか》にされてゐるやうな気がして仕方がないのである。いきほひ、彼は思ひもよらない時に傲然となつたり、挑《いど》みかゝるやうに人前に立ちはだかつたりする。その癖を知つてゐても、大抵
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