汗ばんでゐるやうな気がした。慌《あわ》てないで、さう自分に云つた。
だが、房一よりも堂本の方がもつと慌ててゐた。彼はいきなりそこに痩せた身体をしやちこ張らせてかしこまると、
「へえ、いえ」
と、何か文句にならないことを口の中で云つて、もう一度低いお辞儀をかへした。
その様子が房一に余裕を持たせた。彼は東京の代診時代に覚えた世間慣れた快げな微笑を浮かべることさへできた。
「お忘れかもしれませんが、高間道平の息子でございます。――今度、医者としてこの町へ戻りました者で――」
「へえ、――どうもごていねいなことで――」
まだぎこちなく坐つて伏目に固くなつてゐる堂本の様子から、自分が誰かといふことは判つてはゐるのだなと思つた房一は、
「や、それでは――」
と手早く切り上げて、堂本の家を出た。
そこから元来た路を引き返した房一は、行きがけには通りすぎた千光寺の山門を潜つた。広い人気のない寺庭には九月の日が明く冴えて、横手の庫裡《くり》に近い物干竿では真白な足袋が二足ほど乾いてぶら下つてゐた。そのしんとした庭の中をまつすぐに庫裡の方へ横切つてゆくと、いきなり
「やあ」
と云ふ疳高《かんだか》い大きな声があたりに響きわたつて房一を面喰せた。
本堂と庫裡とをつなぐ板敷の間で、ずば抜けて背のひよろ長い、顔も劣らずに馬面《うまづら》の、真白な反《そ》つ歯《ぱ》のすぐ目につく男が突立つてゐた。
「なんですか、御挨拶まはりですかね、それはどうも御苦労さまですなあ。――まあ、お上り下さい」
又立てつゞけに、一人でのみこんで、殆ど房一に口を開く隙を与へないこの男は、セルの単衣《ひとへ》を着て、その上に太い白帯をぐるぐる巻きにしてゐた。角張つた頭骨の形がむき出しになつた円頂と、この白帯とがなかつたら、僧侶といふよりは砲兵帰りの電気技師にでも見えたかも知れない。彼は小学校の頃房一より四五級上だつた。その頃から彼はひよろ長い背丈の、時々くりくり坊主にされて、その青光る頭を振り立てて町場の腕白仲間の先頭に立つてのし歩いてゐた。さういふ目立ち易い恰好が相手には又とない悪口の種を与へたものだつた。小憎らしかつたその慓悍《へうかん》さが、今その倍増しになつた背丈と同じやうに彼の中に育つて、ちつとも坊主臭くない筒抜けな、からりとした性格に発展したやうであつた。高間医院の造作中に、彼は前を二三
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