れぬ線の粗《あ》らさとどぎつさこそあつたが、想像したよりもはるかに老人だつた。
「さういふあんたはどなたで?」
と、やがて相手は訊き返した。声音は落ちついて低かつたが、その裏には場合によつてはまるで反対の強さに瞬時に変りかねないことを感じさせる力がこもつてゐた。
房一はその時、これは思つたより以上に面倒だな、と感じた。この場だけを円めればいゝといふわけにはゆくまい、云ひがかりをつけられるかもしれぬ。それから、徳次をこの場から去らせても後で鬼倉の配下の者に狙はれるかもしれぬ、といふことを突嗟《とつさ》に考へた。彼は腹をきめた。そして、相手の顔に目をつけながらゆつくりと答へた。
「いや、私はすぐこの近くで医者をしとる、高間といふ者ですが」
「あゝ、お医者?」
と、鬼倉は意外に思つたらしい。小首をかしげてゐたが、
「高間さんと云ふと、――ふむ、そんなら、わしとこの者《もん》が度々御厄介になつとる先生ですかな」
「さうです、小倉組の方ですな」
「や、さうでしたか。それは――」と、鬼倉は目に見えて和《やは》らいだ。
――「それでは、わしの方からお礼を云はなきあならんのです。どうぞ、よろしく願ひますわ」
そんな風におぼえてゐてくれるとは思ひがけなかつた。
うまい工合だと感じた房一はすかさず云つた。
「いや、どうも。――この男は私のごく懇意な者ですが、酒癖がわるいので、まあ今夜のところは大目に見てやつて下さい」
「いや、いや」
と、鬼倉はすつかり他意のない様子で答へた。
そして、食卓に突き立てたまゝになつてゐる短刀を、火箸か何かつかむやうな、無造作な素速い手つきで抜きとると、鞘におさめて腹帯の内側へ入れながら、
「かういふ玩具《おもちや》のやうなものを出して、年甲斐もないことでした」
と、云つた。
その短刀は、房一が入つた時すぐと目を射たものだつた。そして、今の今まで、彼は絶えずその不気味な輝きをすぐ傍にしながら、わざと目に入らない風を装つてゐたのである。とは云へ、彼も亦こゝへとびこんだ瞬間から、一種の無我夢中だつたことは間違ひない。その刃が静かに鞘の中に滑りこむのを目にした時房一ははじめて背筋がひやりとするのを覚えた。
第四章
一
八月末の思ひがけない冷気の後で又暑さがぶり返し、それは永くつゞいて、もうがまんがならないと云ふ頃に一寸色
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