チかの娘を、自分が仲に立って結婚させて、両方の親達からお礼を貰う一つの商売でした。じっさい、この結婚口利き業が、祖母の収入の殆ど全部ですのに、自分の孫である私の結婚となると、いま考えてみても可笑しいほど、祖母はむき[#「むき」に傍点]になって反対したものでした。それも、私を手離すのが淋しかったのと、もう一つは、あり勝ちな軽い嫉妬の形を変えた心もちからだったのでしょうが、結婚の仲介を稼業にしているくせに、或いは、それを稼業にしていればこそ、かえって、と言い直しましょうか、とにかく私の縁談には、冷淡以上に、惨酷なほどの態度をとっていましいた。そのために、言い寄ってくる男たちもいつの間にか遠のいて、私は、大きな身体《からだ》に子供のような服を着せられて、相変らず牛の乳をしぼったり、枯草を乾したりなんかばっかりさせられて、いました。もし若い男が私に話しかけでもしようものなら、祖母は狂気のように飛び出して行って、顎髯を振る、指を曲げて様々な悪霊の形を作って見せる、さては杖をかざして、ブリトン語で呪文を唱えながら白眼《にら》みつける、という始末ですから、とうとう村中の男が、誰も、私には、冗談は愚か、視線の一つも投げてくれないということになってしまいました。
 が、結婚の問題は、ぼんやりながら始終私の頭にありました。若い女は、何よりも「遅くなる」ことを恐れるものです。しかし、そうかと言って、私から祖母に言い出すことは出来ませんでした。カルナクでは、女はただじっ[#「じっ」に傍点]と待っていなければならないことに決められているのです。
 村外れの石山に、ケルト族の墓標だと言い伝えられて来た、円い大きな自然石があります。男性の形で、Croez−Moken ――つまり、若い女が、夜更けに出かけて行ってその上に腰かけるか、跨《また》ぐかすると、きっと一年以内に結婚が出来るという迷信のある石です。私は、今でも一番よくあの辺を覚えているほど、祖母の眼を忍んでは毎晩のように腰かけに行きました。
 ところが、その夜は大雨で、私は自家にいなければなりませんでした。あなたは、ブリタニイの雨を御存じですか。大粒な水滴が地面を穿《うが》って叩きつけるのです。私たちは、早くから扉《ドア》を閉めて寝に就きました。が、雨風の音で眠れないので、私は長いこと床のなかで眼をさましていました。すると、ちょうど真夜中で
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