ない動物愛護者のつもりだが――とにかく、メリイ・カルヴィンの場合なんか、メリイには、リングの牛が、不愉快なほど無神経に、愚鈍に見えてしょうがないそうだ。だから、そんな馬鹿には生きてる権利もない、どんなに虐殺しても構わない――と言ったような、自分でも不思議な、まあ一種の制裁的痛快感に、思わず拍手しちまうといってる。それに、も一つ可笑《おか》しなことは、メリイは、闘牛を見るたびにああ自分があの牛だったらと思ってぞっ[#「ぞっ」に傍点]とするそうだが、この幾分変態的な戦慄《スリルス》も手伝って、一生闘牛場へ呪縛されるのがあのメリイの運命だろう――。』

     7

 槍馬士《ピカドウル》から仕留士《マタドウル》までかかって一頭の牛を斃《たお》す。これが一回。一日の闘牛にこの同じ順序を六ぺんくり返して、つまり六回に六匹の牛を殺すのだ。四時にはじまって、この間二、三時間。一回の闘牛の所要時間は約二十分|乃至《ないし》三十分の勘定だ。
 牛の背に二つの穴をあけて、ピカドウルは喝采裡に退場した。
 炎熱に走り廻って汗をかいてるところへ傷口の血が全身に滲《にじ》んで、この時はもう牛は一つの巨大な血塊に見える。
 真赤な丘だ。
 じっと立ち停まって喘《あえ》いでる。
 その影が砂に黒い。
 入りかわりにそこへ、こんどは三人の矢鏃士《バンデリエイル》の登場だ。二本ずつ六本の銛《もり》を打ちこむ役である。
 が、傷ついた牛はいま憤激の頂上に立っている。生命を守る本能にすっかり眼ざめ切っているのだ。その牛へ、ひとりずつ真正面から向って手銛《てもり》を差すのだから、このバンデリエイルの勇敢と機敏と熟練と、そして危険さこそは、闘牛のなかの見どころである。声援と衆望のうちにおのおの牛へ接近して、或る者は牛の鼻さきの砂に跪《ひざ》まずき、または側面から銛をかざして狙っている。牛が静止してる時は決して突けないものだそうで、いま躍動に移ろうとして前肢に力の入った刹那、それがバンデリエイルの機会だ。牛のほうで自分の力で銛さきへ飛び刺さって来る。だからみんな、眼を据えて、牛の肢《あし》の筋肉の微動を注視している。
 ひっそりと落ちる闘牛場の寂寞――。
 鷹揚《おうよう》な牛が洒落《しゃれ》た人間どもにいじめられてる。必ず殺されると決まってることも知らずに、牛はいま、何とかして生きようと最善を尽してるのだ。その努力が、また私をして面《おもて》を外向《そむ》けしめる。ふだんから牛の眼はどこを見てるのか解らないもんだ。この必死の土壇場になっても、「赤い小山」は一たいどこを白眼《にら》んでるのか見当がつかない。青空と砂を同時に見てるようでもあるし、ぼんやり周囲の見物席に見入ってるようでもある。悲しい眼だ。何を考えてるのだろう? 私にはそれがわかる――一体全たいこのすべての騒ぎは何のためなんだろう? 牛は不思議そうに首を捻《ひね》っている。話で判ることなら何とか折合おうじゃないか。そうも言ってる。それに、これだけ集まってる人のなかで、こんなに降参してる俺のために、一人だって謝ってくれる者はないんだろうか――牛の眼がスタンドを見渡した。私はその眼を忘れない。
 急に私は牛のために祈り出した。
 私のこころはいま秘かに奇蹟をこいねがっている。
 何とかしてここで、あの「赤い丘」が装甲戦車のような万能力をもって動き出し、闘牛士は勿論、観覧席へのし[#「のし」に傍点]上って全見物を片っぱしから押し潰《つぶ》して廻るような超自然事は起らないかしら――?
 牛も、時として復讐することがある。
 闘牛士が角に突かれて絶命するのだ。そしてそれは、このバンデリエイルと次ぎのマタドウル・デ・トウロスに多い。
 眼前の凄惨さを直視するに忍びない私に、影絵のような西班牙《スペイン》のそのまた影絵のような過去の物語がうかび上がる。
 話中話――題をつけよう。
「イダルゴとホウセリト」
 過去といっても、そう古いことじゃない。まだ五、六年まえだが、イダルゴという西班牙《スペイン》有数の女優と、ホウセリトと呼ぶ、これも名高い闘牛士とが、愛し合ってマドリッドに共同生活を営んでたことがある。女は舞台の花、男は血と砂の勇士だ。場処は太陽に接吻されるスペインである。一流同士の華やかな恋愛として、この二人が当時どんなに全市の口の端《は》にのぼったか、そして、たださえ恋巧者な南国人の、しかも女優と闘牛士だ、いかに灼熱的な日夜がふたりのあいだに続いたことか、それは想像に難くない。
 なんかと、莫迦《ばか》に女優ばかり引合いに出すようだけれど、女優と闘牛士なんて、どっちも西班牙《スペイン》の生活に重大な別社会を作ってる人気商売である。相接する機会が多く、じっさい、何だかんだとしじゅう一しょに噂の種を蒔《ま》いて世間の
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