動物仲間のくせに人間に買収されて!――というように。
総立ちだ。
足踏みだ。
大喚声だ。
傷ついた馬は、騎士を乗せたまま引っ込んで行った。が、直ぐに出て来た。おや! 同じ馬じゃないか。AH! 何という ghastly な! はみ[#「はみ」に傍点]出ていたはらわた[#「はらわた」に傍点]を押し込んで、ちょっと腹の皮を縫ってあるだけだ。そのままでまたリングへ追いやる!
縫目の糸が白く見えている。
何と徹底した苦痛への無同情!
馬は、恐怖にいなないて容易に牛に近寄ろうとしない。それへ槍馬士《ビカドウル》が必死に鞭《むち》を加える。
この深紅の暴虐は、私をして人道的に、そして本能的に眼をおおわせるに充分だ。
が私ばかりじゃない。私の二、三段下に、さっきから顔を押さえて見ないように努めていた仏蘭西《フランス》人らしい一団は、このとき、耐《たま》り兼ねたようにぞろぞろ[#「ぞろぞろ」に傍点]立って行く。女はみんな蒼い顔をしてはんけちで眼を隠していた。
ドン・ホルヘは我慢する。
女のなかには気絶したのもあった。あちこちで担ぎ出されている。道理で、女伴《おんなづ》れの外国人が闘牛券仲買所《レベンタ》へ切符を買いに行くと、最初から出口へ近い座席を選ぶように忠告される。青くなって退場したり、卒倒したり、はじめての女でおしまいまで見通すのは殆《ほとん》どないからだ。だから、言わないこっちゃない。
しかし、男でも女でもこういう気の弱いのは初歩の外国人にきまっていて、西班牙《スペイン》人は大満悦だ。牛の血が噴流すればするほど、馬の臓腑が露出すればするほど、女子供まで狂喜して躍り上ってる。反覆による麻痺《まひ》だろうけれど、見ていると根本的に彼らの道義感を疑いたくなる。私は、無意識のうちに牛の肩を持っている自分を発見した。
一たい闘牛《トウロス》に対しては、西班牙《スペイン》国内にも猛烈な反対運動があって、宗教団体や知識階級の一部はつねに闘牛《トウロス》の改廃を叫んでいるんだが、この「血の魅力」はすぺいん国民の内部にあまりに深く根を下ろしている。羅馬《ローマ》法王なんかいくら騒いだって何にもならない。が、牛か人かどっちかが死ななければならないのが闘牛《トウロス》だとしたら、そして、はじめからリングで殺すつもりで育てた牛である以上、牛の死ぬのはまあ仕方がないとして、馬まで傍杖《そばづえ》を食わして殺すのは非道《ひど》い。こういう議論が起って、最近では、出場の馬へ硬革製の腹当てをさせることにしている。しかし、これも形式的なもので何ら実際に保護の用をなさない。何しろ相手は火のように猛《たけ》り狂ってる野牛だ。馬の逃げ足が一秒でも遅いと、忽《たちま》ち今日のような惨事を惹起することは眼に見えてる。が、この悲惨とか残酷とかいうのも外国人にとってだけで、すぺいん人はここが闘牛の面白いところだと手を叩いて喜んでるから、始末におえない。闘牛《トウロス》のつづくかぎり、馬の犠牲も絶えないだろう。
なぜ地球上にこういう野蛮な存在を許しておくか? これはじつに西班牙《スペイン》一国内の問題ではない。まさに全人類の牛馬に対する道徳上の重大事である。なんかと度々《たびたび》海のむこうから文句が出るんだけれど、どうしても止《よ》さないものだから、海外の識者もみんな呆れて、諦めて、この頃ではもう黙ってる。おかげで西班牙人《スパニヤアド》は誰|憚《はばか》らず牛が殺せるというものだ。
これは、この闘牛《トウロス》を見てから二、三日してからだったが、例のドン・モラガスが私のところへやって来て、
『どうだったい、こないだの闘牛は?』
と訊くから、私――というより、私の社交性が、
『うん。なかなか面白かったよ。|有難う《グラシアス》。』
と答えると、彼は、
『ふふん。』
と鼻の先でせせら笑って、
『生意気いうない。君みてえなげいこく[#「げいこく」に傍点]人に闘牛《トウロス》の味が解って耐《たま》るもんか。ほんとに闘牛《トウロス》を見るようになるまでにゃあ、君なんか、そうよなあ、もう十年この西班牙《スペイン》で苦労しなくちゃあ――。』
私はついむき[#「むき」に傍点]になって、紅布《ミウレタ》へ挑戦する牛のようにモラガスへ突っかかって行った。
『冗談じゃない。闘牛《トウロス》なんかもう御《ご》めんだよ! 一度でたくさんだ。何だ! 一匹の牛を殺すのにああ何人も掛ったりして! ただ残酷というだけじゃない。あれあ卑怯だ。だから、見てるうちに、僕なんか牛に味方して大いに義憤を感じちゃった。すくなくとも文明的な競技じゃないね。』
どうだ、ぎゃふん[#「ぎゃふん」に傍点]だろうとモラガスの応答を待っていると、案の条かれはにやにやして話題の急転を計った。
『うちの
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