したところで初まらないから、そこで大々的《スペクタキュラア》に牛を殺すことにしたのが、このいすぱにあ国技「こりだ・で・とうろす」だ。だから、西班牙人《スパニヤアド》は男も女も自らの情熱の捌《は》け口をもとめて、万事を放擲してこれへ殺倒する。もちろん一つは、アラビヤ人との混合血液による国民性だが、毒を征するに毒をもってすという為政的見地から、皮肉に言えば、闘牛は、夏のすぺいん人の一時的錯乱に対する安全弁かも知れない。思うに、この蛮風も風土的必要に応じて発生したものであろう。道理で、サン・セバスチャンにあった有名な賭博場《キャジノ》を閉じて国中からばくち[#「ばくち」に傍点]を追った現独裁宰相――西班牙《スペイン》のムッソリニ―― Primo de Rivera ――も、まだこの闘牛だけはそっ[#「そっ」に傍点]として置いてる。もっとも彼だってすぺいん人だから、熱烈な闘牛ファンであっても差しつかえないわけだが、闘牛を禁止すると西班牙《スペイン》に革命が起るとみんなが言ってる。その革命も、夏の暮れ方に、のぼせ[#「のぼせ」に傍点]上ったDON達が街上に踊り狂ってお互いに料理《ブチャア》し合うんじゃあ騒ぎが大きい。おなじ屠殺するんなら、まあ、人よりゃあ牛のほうが幾らか増しだろう。第一、牛はあんまり文句を言わないし、それに、血がたくさん出る。
という、これが闘牛の哲学だ。したがって物凄い闘牛病患者には、男よりも女――のほうがどうもヒステリカルな残忍性に富んでるとみえて――が多いことは、容易にうなずけよう。
闘牛には季節《テンポラダ》がある。復活祭から十月までの毎日曜日と祭日が正規の闘牛日だ。十月以後にもあることはあるが、それはいわゆる小闘牛《ノヴィラダ》といって、牛は若牛《ノヴィロス》、闘牛士も幕下どころの下級闘牛士《ノヴィレロ》で、本格じゃないからどうも見劣りがする。
つぎに闘牛場だが、その建物は、ちょっと見たところ羅馬《ローマ》の円形闘技場《アンフィセアタア》に似ていて、途徹もなく尨大なものだ。這入ると中央の広場がいわゆる闘牛庭《レドンデル》で、一ぱいに砂利が敷き詰めてある。それを見下ろして、ぐるり[#「ぐるり」に傍点]と高く雛段形の桟敷《さじき》が取り巻いている。この見物席の根、つまり実際の闘牛庭《レドンデル》との境壁には、周囲に、高さ五|呎《フィート》ほどの炭油
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