Eフランセイズのミリイ・ブウルダンだの、いま出てきますから一々名前を申しあげます。ただしかし、面をかぶっていますが、それは先刻《さっき》もお許しを願ったとおり、下っ端《ぱ》ではないのですから、これだけあどうも――。』
『なに! ベクマンやブウルダンなんかまで? そいつあたいしたもんだ。うむなるほどね。それあ面ぐらいは我慢しなけりゃあ――。』
それに同意して、全員しきりにうなずいているところへ、舞台の下で急に蓄音機が鳴りだすと同時に、見物席の電気が消えて音もなく幕があがった。
脚下灯《きゃっかとう》のまえに二十人ほどの女優が二列にならんでいる。
黒の靴下に高踵靴《ハイヒイル》だけの着付けだった。すこし背《せい》の低い前列は、それに一様に黒い毛皮の襟巻《えりまき》をして、つば[#「つば」に傍点]の広い黒い帽子をかぶっていた。せいの高い後列の女優たちは、絹高帽《シルクハット》に鞭《むち》のような細身の洋杖《ステッキ》を持っていた。前が「女」、うしろが「男」の組らしい。それがみんな、靴と靴下と帽子のほかは完全に裸だった。その靴も靴下も帽子も、「女」の組の毛皮《ショオル》も、「男」の組の洋杖《ステッキ》もすべて漆黒《しっこく》なので、女優たちの膚《はだ》の色と効果的に対照してちょっと美術的な舞台面だった。全部、言うまでもなく顔ぜんたいを黒布の仮面で覆って、眼と鼻のさきと口だけ出している。
アンリ親分が立って、端から名を呼びあげる。
『デ・ラヴェニウ座のイヴォンヌ・モレエル嬢、つぎはモナ・ベクマン嬢、第三は、いまオデオン座の「サフォ」で売出しの若手人気女優ジャンヌ・ロチ嬢、四番目は――。』
と言ったぐあいに、前列が終わると静かに入れ代って後列が前へ出る。そうして一わたりこの披露《アナウンス》が済んだかと思うと、やにわに二十本の脚が高く上がり、蓄音機に合わして盛大な舞踏になった。
「男女」二人ずつ組んで社交だんすの形をとったり、バレイみたいに団体的に跳躍したり、かわるがわる一人の花形を中心にレヴュウのように廻ったり、反《そ》ったり開いたり――その度に杖と毛皮《ショオル》と乳が揺れて、黒い靴下のほかははだか[#「はだか」に傍点]の脚が、何本も何本も見物のあたまのうえで曲がる、伸びる、廻る――つよい脚下灯の光りを下から受けて――。
『これがみんな有名な女優なんですからなあ。ほかで見ようたって、思いも寄りませんや。』
饒舌家が呟《つぶや》いていた。が、誰にも聞えないとみえて、振り返るものもなかった。
白と黒の廻転は幕なしにつづいて往ったが、おわりに近づくに従い、舞台は記述の自由を与えないことを遺憾とする。
一行はぞろぞろ[#「ぞろぞろ」に傍点]戸外へ出た。そして、白みかけた朝の空気のなかで解散した。
『さあ、これあこれで宜《よ》し、と――。』
一行を送り出して角で別れた親分が言った。
『あいつら、巴里《パリー》にゃあ凄《すげ》えところがあるってんで、嬉しがって帰《けえ》りやがった。』
じっさい、ことごとく満足した全隊員は、解散|真《ま》ぎわに例の饒舌家が五十|法《フラン》のチップをはずんだのを皮切りにみんな真似して五十法ずつ親分へ献上して行ったくらいだ。が、忘れ物でもしたのか、饒舌家は間もなく引っ返してきた。すると親分は、ごく事務的に私と彼を連れて、いま出たばかりの「劇場後の劇場」へこうして後戻りしたのである。
面を脱《と》って着物を着た「有名な女優たち」が、観覧席で帰り支度をしながら、きゃっきゃっ[#「きゃっきゃっ」に傍点]と騒いでいた。そのなかにまず、私は「モナコの岸」のマアセルを発見した。つぎに、ほかの「女優」もすべて、「すすり泣くピエロの酒場」や「人魚の家」やその他の場処で今夜見た顔にすぎないことを知った。饒舌家は草臥《くたび》れたと言って、不機嫌そうに隅の椅子に腰かけた。そして直ぐに女のひとりと口論をはじめて、アンリ親分に呶鳴られていた。
がやがや[#「がやがや」に傍点]するなかで、親分は、出発まえに客から集めた金を取り出して、八百長《やおちょう》役の饒舌家をはじめ、幾らかずつそれぞれの女に配りながら、大声の日本語で私に話しかけた。
『どうだ、ジョウジ。いい商売《しょうべえ》だろう! みんなよく働いてくれるから俺も楽さ。なに? 有名な女優の名を使うのは非道《ひで》えじゃねえかって? 馬鹿言いなさんな。そっくり出鱈目だあね。モナ・ベクマンだのジャンヌ・ロチなんて、そんな名の女優さんがあったらお眼にかかりてえもんだ。知らねえのは恥だてんで、紳士連中しきりに頷首《うなず》くからね。そこがこっちのつけ[#「つけ」に傍点]目さ。え? 「モナコの岸」? マアセル? このマアセルか。止《よ》せよジョウジ、冗談じゃあねえぜ。此女《これ》あお前《めえ》、俺んとこの嚊《かかあ》じゃねえか。』
そう言って笑った時のアンリ・アラキの顔に、私ははっきり[#「はっきり」に傍点]ノウトルダムの妖怪を見た。
――と、ここでこの話は済んだのかと思うと大間違いで、君、忘れちゃ困る。君もいま巴里《パリー》へ来てることになっているのだ。で、着く早々「女の見世物」を漁《あさ》りに飛び出すはずだったが、ま、もすこし我慢しておしまいまで聞くとして、さて――いやに星のちかちか[#「ちかちか」に傍点]するPARISの夜、聖《サン》ミシェルの酒場、大入繁盛のLA・TOTOの一卓で、数十年来この巴里の「|不鮮明な隅《オブスキュア・コウナア》」に巣をくっている日本老人アンリ・アラキと、老人のいわゆる「脱走いぎりす船員」たるジョウジ・タニイとは、実はこうして、昨夜《ゆうべ》から今までまだ饒舌《しゃべ》りこんでいたのだ。
が、不思議なことには、夜どおし一人でしゃべり続けて疲れたせいか、話しているうちにアンリ・アラキは、だんだん当初の親分的な無頼さを失い、それとともに、私の尊崇おく能《あた》わなかった「七つの海の潮の香」も、「大胆沈着・傍若無人の不敵な空気」もどこかへすう[#「すう」に傍点]と消えてしまって、かわりにそこに、「さまよえる老|猶太《ユダヤ》人」らしい淋しい影が一そう拡がり、見るまに彼の全人格と身辺を占領して、この長ばなしを語りおわったとき、「大親分アンリ・アラキ」はただの見すぼらしい日本人の一お爺さんに還元していた。
眼をしょぼ[#「しょぼ」に傍点]つかせながらべっ[#「べっ」に傍点]と唾をして彼は結んだ。
『――と言ったふうにね、いまお話《はなし》したような商売《しょうべえ》を始めれあ儲かること疑いなしでさあ。それというのが、巴里《パリー》というところはどういうものか昔からそんなふうに思われていて、早《はえ》え話が、巴里にゃあ物凄《ものすげ》え場処があるってんで、英吉利《イギリス》人やめりけん[#「めりけん」に傍点]なんか、汗水流して稼いだ金ではるばるそいつを見にやって来るてえくれえのもんです。だからさ、見たがるものを見せてやるために、ちょいとね、今の話のようなすげえ[#「すげえ」に傍点]ところを拵《こさ》えといて、その物欲しそうな面《つら》の外国の金持ちを集めてしこたま[#「しこたま」に傍点]ふんだくって一晩引っ張り廻そう――てのが、つまり、これあわたしの、長《なげ》えあいだの、ま、夢でがさ。が、よくしたもんで金はなし、第一そんな女もなし、今さらこの年で日本へ帰《けえ》ろうにも、領事館へ泣き付いて移民送還てのも気が利かねえしね――済んませんが、あんた、いくらか煙草銭でも与《や》ってくれないかね。』
言い終わった老人の顔に、私は、今度こそほんとにノウトルダムの妖怪を見た。
底本:「踊る地平線(上)」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年10月15日第1刷発行
底本の親本:「一人三人全集 第十五巻」新潮社
1934(昭和9)年発行
※底本には、「新潮社刊の一人三人全集第十五巻『踊る地平線』を用いた。初出誌および他の版本も参照した。」とある。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:tatsuki
校正:米田進
2002年12月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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