十五、六の、女になり立てのから三十歳前後まで、十人あまりの女群のなかには、アルジェリイかどこか植民地産らしい黒人の女もいた。水に濡れて、膃肭臍《おっとせい》のように光っていた。それがみんな、水中の必要に応じて思い切り行動する――その全部を細密に照らし出して、石化したようにじっと振りあおいでいる一行の肩に、頭に、絨毯のうえに、硝子《ガラス》ごしの光線は千切《ちぎ》れ雲のような投影を落している。
上は明るい海底と人魚の乱舞、下は、ぽうっ[#「ぽうっ」に傍点]と月夜の森のような半暗《はんやみ》の凝結だ。
幻のように水の音が聞えていた。
戸外へ出ると、ノウトルダムのてっぺんに巴里《パリー》の月が引っかかって、石畳が汗をかいていた。夜露が降りたとみえる。
この NOTRE DAME ――ノウトル・ダムの寺院だが、これこそは、巴里のノウトル・ダムかノウトル・ダムの巴里か、てんで誰でも知ってる。そしてそれが、船の形をしてセエヌに浮んでいる、小さな|市の島《イル・デ・ラ・シテ》の小高いところに建ってることも、昔シイザアが威張り散らして羅馬《ローマ》からここへ来たとき、巴里《パリー》はこのセエヌの小舟島イル・デ・ラ・シテだけに過ぎなかったことも、だから今でも巴里の市章は、この市の起原を象《かた》どった船の模様であることも、イル・デ・ラ・シテはよく巴里の眼と呼ばれ、ノウトル・ダムは屡々《しばしば》その瞳と形容されることも、いつの世に誰が建立したのか未だにはっきり[#「はっきり」に傍点]、判らないこのノウトルダムに関して、ヴィクタア・ユウゴウは紀元七百年代にシャレマアニュがその第一石を置いたんだと説いてることも、この、ルイとボナパルトと敵と味方の泪《なみだ》を吸って黒いゴセックの堆積が、いかに多くの荘厳と華麗と革命と群集の興亡的場面を目撃して来たのであろうことも、傴僂のカシモドが身を挺してエスメラルダを助けたことも、一八〇四年、ナポレオン一世がここで戴冠式を挙げて、参列者の一人ダルバンテ公爵夫人が「眼に見るように」手記してるとおり、せっかち[#「せっかち」に傍点]なナポレオンは、まず一つの冠を非常に静かに――痛くないように注意して、軽くジョセフィンの頭へ戴《の》せたのち、自分のは実にがさつ[#「がさつ」に傍点]に引っ奪《たく》るが早いかぐっ[#「ぐっ」に傍点]とかぶって並居《
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