どは学術的にも著名である。出かけるには夕方を選ぶといい。それも、ダンスプランという瑞典《スエーデン》各地方の踊りのある日でなければ駄目だ。この民俗だんすは、女たちが昔ながらのその土地々々の服装をつけて踊るんだから一度は見る必要がある。晩餐はイデュンハレン料理店の戸外《そと》の一卓でしたためること。音楽と夕陽と郷土服の女給たちが、スウェイデン料理とともに一夕の旅愁を慰めるだろう。
こうして陽の沈みかけるのを待って、さ、ブレタブリックの塔へのぼろう。
塔上、北欧のネロを気取る。
「北のヴェニス」は脚下にひろがって、バルチックの入江とマラレンの湖水。みどりの沃野《よくや》にかこまれた「古い近代都市」のところどころに名ある建物がそびえ、水面に小蒸汽がうかび、白亜《はくあ》の道を自動車が辿り、この刹那凝然としているストックホルムのうえに、北の入日は七色の魅魍《みもう》を投げる。
寺院が見える。いくつも見える。そのなかで「瑞典《スエーデン》のパンテオン」と呼ばれる、リダルホルムス教会《キルカ》――|騎士の島《リダルホルムス》という語意だが――この歴代の王様を祀《まつ》ってある壮麗な拝殿の内部、古い木の尖塔《スパイア》の反対側の角のところに、日本先帝陛下を記念し奉る御紋章が安置してある。菊の御紋の周囲に王冠と獅子頭が互いちがいに鎖状をなしている金の装飾、おそれ多くも下にこう書かれてあった。
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H. M. Kungleg
de Japon
YOSHIHITO
Dec. 25−1926
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御崩御の電報がストックホルムへ達したとき、この「騎士島《リダルホルムス》」の寺の鐘は半日市の低空に鳴りひびいたという。私たちが参拝したのはあとのこと。いまはまたスカンセンの塔へ帰ろう。
三つの王冠――瑞典《スエーデン》の国章はどこにでも見受ける――が陽にきらめいている水辺高層の楼閣――ストックホルムが世界に誇る新築の市役所である。旅人はこの町で誰にでも「もう市役所はごらんになりましたか」と訊かれるだろう。正面入口まえの芝生にストリンドベルグの裸身像。抜け上った額に長髪、両手を胸に陰惨な顔をして立っている。それはいいが、この市役所の時計台には大金をかけてユウモラスな仕掛けがしてある。高い壁に小さい戸があって、支那人みたいななりの人形が番人然と構え
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