ヤ場まえの裸像の噴水、兵卒のような巡査、駈けよってくる花売り女――騒音は都会の挨拶《グリイテング》だ。
 ちがった外見の、けれど内容のおなじ生活がここにも集合している。しみじみそういう気がする。そのせいだろう、もしそのとき君が、前に一度、夢でか現実にか、この町へ来たことがあるような気がしたら、そしてまた、家のならびや往来の走りぐあいが君の想像していたところと全く同一なら――多くの場合そうだが――君はどんなにその町を愛し、そこに狎《な》れ親しんでもさしつかえない。君はすでに町をつかんでいるからだ。
 このあたらしい都会でぴたり[#「ぴたり」に傍点]とくる感じ――私はそれを町の顔と呼ぶ。
 へんなことには、都会の顔は近代化した大通りや、いわゆる「|見物の場所《プレイス・オヴ・インタレスト》」にはけっして見られない。老婆と主婦と雑貨と発音が鳩といっしょに渦をまく朝の市場、しみ[#「しみ」に傍点]だらけの歪んだ壁と、小さな窓と、はだしの子供たちの狭い裏まち。それに坂だ!――私はどうしてこう坂と横町と市場が好きなんだろう?――これらに私は、じいっ[#「じいっ」に傍点]と私を見つめている「町の顔」を発見する。
 こういう「町の顔」のなかで、性格的に印象を打って長くあたまにこびり[#「こびり」に傍点]ついている多くの「顔」を私は持つ――そのうちでも白耳義《ベルギー》の首府《メトロポリス》ブラッセルは、私にとって忘れられない「都会の顔」の一つだ。その、千百一の物語を蔵していそうな裏まちと、市場と、市街の坂と、私はこの欧羅巴《ヨーロッパ》の片隅に「存在をゆるされて」いるブラッセルの可憐さ――それは孤児の少女に似た――をいまだに大事にこころの底にしまいこんでいる。
 ブラッセルでは、私たちはブラッセルを生きた。そのあいだ靉日《あいじつ》がつづいていた。
 着いたのは夜だった。
 着くのは、あたらしい町へつくのは夜に限る。昼だと、旅に疲れた君の眼に一ばんさきにうつるのは白っぽい欠点だ。そして、そこにあるのはどこも同じ実務の世界だけだ。が、それがもし夜なら、闇黒と灯《ともしび》に美化された都会が素顔を包んで君をむかえる。そして、そこにあるのは浪漫の世界だけだ。あくる朝ホテルの窓をあけてほんとの町を発見する。旅人はどうしても夜ついた都会を愛するわけだ。だから、あたらしい町へはいるのは夜にかぎる。
 で、着いたのは夜だった。巴里《パリー》からブラッセルの「|南の停車場《ガル・ドュ・ミデ》」へ。
 ブラッセル・すなっぷしゃっと。
 セン河にまたがり「|沼の上の宮殿《ブルック・ツエル》」の転訛。
 オテル・ドュ・ヴィユ――市役所。ゴセックとルイ十四世式の効果的合成。十五世紀の建築。
 アンシャン美術館――ルウベンス・ルウベンス・そしてルウベンス。
 |正義の殿堂《プラス・ドュ・ジュステス》――裁判所。前庭の階段にならぶ雄弁家の立像。シセロ、デモステネス、アルピアン。丘。中世紀的市街の鳥瞰。
 しょうべん小僧――ここでいうマネケンである。ルウ・ドュ・レテュルとルウ・ドュ・シエンの角。ちょいとした狭い裏通りの曲りかどに、凹《へこ》んだ壁を背にして、この一尺ほどの不届きなブロンズはいつもそうそう[#「そうそう」に傍点]と水の音を立てている。はだかの子供。一ばん古いブラッセル市民。伝説に曰く。むかしベルギイがどこかの国と戦って、旗色わるく既にあやうく見えたとき、時の王様だったこの小さな子供がちょこちょこ[#「ちょこちょこ」に傍点]と第一線へ走り出てそこで敵へむかって快然と放尿した。それから勢いを盛り返して難なく勝ったその記念だとある。なるほど言いそうなことだ。が、マネケンと称するわけは、この小僧はなかなか衣裳持ちで、市に何か儀式があるごとにその場合に応じた着物をきせられる。そこで衣裳人形《マネケン》の名。日本からも陣羽織が来ている。町の非常な人気者で、四、五年まえ或る老婦人は遺産一千|法《フラン》をそっくりしょうべん小僧の維持費に寄附して死んだ。両側とも土産《みやげ》ものの店。「英語を話します」「独逸《ドイツ》語もわかります」と窓に広告してある。這入ってみる。マネケンの置物、マネケンの鈴《ベル》、マネケンの灰皿、マネケンの匙《さじ》、マネケンの Whatnot ――。
 無名戦士の墓――コングレス柱《コウラム》の下。一九二二年十一月十一日以来、昼夜とろとろ[#「とろとろ」に傍点]と燃えつづけている火。脱帽。
 ヴェルツ美術館――ドュ・ヴォウティア街。アントニイ・ヴェルツ――一八〇六・一八六五――の個人美術館。もと彼の住宅兼工房だった建物に、大胆・異風・写実、そしてかなりの肉感・残忍・狂的・大作のコレクシオンが出来ている。いかに大作であるかは、そのうちのあるものを描く
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