Aお婆さんはますますにこにこ[#「にこにこ」に傍点]して、おなじ国の人からこんな立派な推薦状が行くんだから、その日本人はきっと来るにきまっている、と、もう一部屋ふさがったようにほくほく[#「ほくほく」に傍点]もので引き取って行った。
 すこし罪だね――私たちはそう言って笑い合っただけで、このことはそのまますぐ忘れてしまった。もっとも時どきは話題にのぼって、
『どうでしょう、あの日本人の人、お部屋を見にくるでしょうか。』
『なあに、ああ言ってやったんですもの、来るもんか。』
 などと、そのたびに、お婆さんに対しては意地がわるすぎるが、一つの復讐をした気になって、私たちはすくなからず溜飲を下げていた。が、お婆さんは、広告に出ていた「日本青年紳士」のアドレスへ私の推薦状を同封した一書を即日正確に飛ばしたものに相違ない。
 それから二、三日した夕方だった。ベントレイ婆さんが顔色を変えて私たちの部屋の戸をあけて、広告主の日本人が来たから、出てきてこんどはひとつ大いに口で推薦してくれという。何しにまたやって来たんだろう?――といささか憤《いきどお》しく感じながら、ヴァレイ夫人を先に立てて、私が別室へ行ってみると、這入った拍子に、ひとりの色の黒い小さな青年が、ぴょこりと椅子を立っておじぎをした。それが小野さんだった。
『やあ! どうですな、このうちの待遇は? お手紙で見るとあんまり感心しないようですが――。』
 ちょっと挨拶がすむと、小野さんはもうじろじろ[#「じろじろ」に傍点]そこらを見まわしている。ベントレイ婆さんは心配そうに小野さんの視線を追いながら、しきりに表情で私に推薦をうながす。が、その哀願を完全に無視して、こうなれば私も日本語だ。
『失礼な手紙をさし上げましたが、どうもこのお婆さんが書け書けといってきかないもんですから――駄目ですよ、こんな家《うち》。なっちゃあいないんです。』
『そうですか。この婆さんはまた無理なことを言いそうなやつですね。白紙やるから文と読め、ですか。はははは、が、白紙じゃあまた承知しますまいしね。それでもこいつ[#「こいつ」に傍点]喜んでたでしょう? てんで何が書いてあるか解らないんだから。』
 ここに到ってか、てんで何を言い合ってるんだかわからないもんだから、お婆さんは一そういらいら[#「いらいら」に傍点]してくる。それでも、社交性のために表
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