ト旅行――それは全く旅行という感じだ――してくる。近づくにつれてそれが椅子の切符売りということを自証する。かれは、こっちの端に椅子を占めている人を望遠鏡ででもみとめて、すでに二片の金を払って切符を所持しているかどうか、もしまだなら、その金員を徴集すべく、こうしてはるばると、そして急がずあわてず、同じ歩幅をつづけて旅してくるのである。掛けているほうもまた、切符の有無にかかわらず、豆から針、針から燐寸《マッチ》の軸といったようにだんだん大きくなってくる切符売りの姿を、見るでもなく見ないでもなく、悠然と腰をおちつけている。やっとのことで傍《そば》まで来ても、もし客が黙って既買の切符を示せば、制服の老人はちょっと帽子をとって汗を拭き、そのまま直ぐ、またもや遠くに霞む椅子をめざして新しい長途の歩行に発足するだけだ。じつに冷静にそれを繰り返している。このロンドンの公園の椅子売りは、よく英吉利《イギリス》人の「やり方」を象徴化していて、私には印象ふかく感じられた。何十人何百人の人間を使おうェ、決まったが最後、なんらの感情なしに規定どおりに「実行」するのである。その愚鈍にまで大まか[#「まか」に傍点]な着実さがいささか私の敬意を強いて、倫敦《ロンドン》というと、私は反射的に、小さな鞄を胸へ下げて公園じゅう半|哩《マイル》一哩を遠しとせず、自信と事務に満ちて重々しく芝生を踏んでくる制服の「老いぎりす紳士」を脳裡にえがくのだ。もしこれが亜米利加《アメリカ》なら、広いところを一々二|片《ペンス》あつめて廻るかわりに、さしずめ白銅《ニクル》一個入れなければ腰かけられないように全部の椅子を改造することだろうし、そしてまたその椅子が、白銅《ニクル》一個入れるごとにちりん[#「ちりん」に傍点]とかがちゃん[#「がちゃん」に傍点]とか、なんと恐ろしく証拠的な大音響を四隣へむかって発散することであろう。これにくらべれば、英吉利《イギリス》のは遥かに、そこにおのずから古典的な一つの趣きがあるような気がする。
 ――などと考えたのはあとのことで、そのときは二片出してもっとよく音楽の聞えるところまで這入りこむのだと思ったから、私は、いや、ここでたくさんだ、ノウ・サンキュウと挨拶したわけだったが、そのお爺《じい》さんの説明でこころよく四片を投じ、ところどころで切符うりが来るたびにそれを呈示しながら、休みやす
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