ツ能性に富んだひとりの有力な容疑者があった。下宿の一人息子、悪たれ小僧のレムである。下宿といっても、これはごく家庭的な小さな家で、建物はかなり大きかったけれど、止宿人は私たち夫婦きりだったから、食事なんかも家の人とみんな一しょにしたためて、来て間もなくだったが、私たちはもう自分の家のように勝手に振舞ってくらしていた。家族というのは、ホルボウンの家具工場に出ている四十あまりの好人物の主人と、よく私たちの世話をしてくれる、几帳面すぎるほど几帳面なその主婦と、それに夫婦のあいだに、レミヨンという七つになる男の子があるだけだった。レムは、年齢のわりに身体《からだ》の小さな、非常に病身な児《こ》で、そのせいかまだ学校へも行かずに、うちにぶらぶら[#「ぶらぶら」に傍点]していた。独りっ子のうえに、からだが弱いからとあって親がしたい放題に甘やかしておくものだから、レムは、意気地がないくせに妙に鼻っぱしのつよい、しじゅう顔いろを変えてはしゃぎ[#「はしゃぎ」に傍点]切っている、おちつきのない子だった。私たちにもはじめはへん[#「へん」に傍点]に人見知りをしていたが、間もなく、ことに彼女とすっかり仲よしになってしまい、いつも裏の庭で、彼女を箱車のタキシへ載せて自分が運転手になって遊んでいた。それをおかみさんが台所の窓から眼をほそくして半日でも見ていたりした。私もよくレムに掴《つか》まって、馬になってそこらを走りまわらなければならなかった。じっさい遊び相手がないので、いつでも一日いっぱい私たちとふざ[#「ふざ」に傍点]けていたい様子だったが、ときによると、そのあんまり強情なのが子供らしくなくて、憎らしくなることがあった。何よりも狂的に乱暴なので、私より先に、親友のはずの彼女がすっかり辟易《へきえき》してしまっていた。私も正直のところ、うるさくて閉口していた矢さきだから、そこで私たちは、いろいろ相談して、最近ではそれとなくレムを避けるようにしていた。すると、七つのレムがはなはだ七つの子供らしくないというものは、かれがこの私たちの採用した敬遠主義をすぐに感づいて、この二、三日、ことにあきらかに敵意を示し出した一事である。食事のときも、廊下や庭で会っても、レムは彼女と私を見かけ次第、顔をくしゃくしゃ[#「くしゃくしゃ」に傍点]にして、シ洋の赤んべいをすることにきめていた。それも、ほかに人がいると決してしないんだから、一そう可愛くなかった。
『嫌な子ねえ、あのレミヨンって児。』
『うん。ちょっと病的なところが見えるね。やっぱりひよわ[#「ひよわ」に傍点]だからだろう。』
などと私達は話しあっていたが、あんまりしつこく[#「しつこく」に傍点]呪面《メイク・フェイス》されると、なんだか小悪魔にでも魅入られているようで、つい私たちも不愉快な気持ちにされることが多かった。で、私もさまざまな顔をつくってレムの軽侮に応酬してやるんだが、つまりこんなわけで、私たち対レムのあいだには、近来戦雲あんたんたるものがあったのだ。
悪戯――とあたまへ来ると一拍子に、私は早くからこの状態《シチュエイション》に思い当っていた。が、子供の仕業にしてはすこし毒があるようだ。こう考え直して、出来るだけレムを嫌疑者の表から除外しようとつとめたのだが、こう事態が逼迫《ひっぱく》していたところから見ると、あきらかに報復をふくんだレムのいたずらと判断するよりほか、仕方のないものがあった。留守中部屋は開けはなしなんだから、子供にだって訳なく出入り出来る。家は普通の大きさで、間数も相当あるんだけれど、往来にむかった二階の一室を私たちが借りているきりで、おなじ階《フロア》のほかの部屋も、三階も、下宿の看板を掲げて人さえ見ると来てもらいたがっているくせに、どういうものかがら[#「がら」に傍点]空《あ》きにあいているんだから、曲者《くせもの》がそとから這入ったんでない以上、それは一階に住んでいるこの家《や》の人々のうちの誰かに極限されるということになる。そして、それは、前にも言ったとおり主人夫婦とレムだけなのだ。
『レムね。』
『レムにきまってる――あいつ、恐ろしく調子に乗る質《たち》の子供だから、黙っておくとこれからも何を仕出すか知れやしない。とにかく、この靴の水を棄てて、それからミセスを呼んで一つ皮肉に注意してやろう。それも、何もレム公が水をつぐ現場を見たわけじゃあないんだから、こっちだってあんまり強くも言えないしね。』
『あら、ミセスを呼ぶんなら、水を暫らくそのままにしといて見せてやったほうが宜《よ》かなくって?』
そこで私は、厳然と威儀をととのえて、その、水入りの丼《どんぶり》みたいな靴のかたわらに立ち、彼女は勇躍しておかみさんを呼びに行った。おかみさんはすぐ来た。が、一眼《ひとめ》私の足も
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