る窓の二枚の絵は、歪《ゆが》んだ建物といささかのみどりと炭油《タアル》で固めた路との散文的な風物に過ぎなかったが、画面を這《は》う日脚と光線のあや[#「あや」に傍点]とが、そのときどきの添景人物とともに見飽きない効果と触《タッチ》を出していた。不思議な帽子をかぶった郵便配達夫が、大きなずっく[#「ずっく」に傍点]のふくろをかついで雨のなかを行く。買物の帰りらしい女が赤い護謨外套《マッケントン》の襟を立てて歩道に水煙を蹴散《けち》らしてくる。樹の下に立って空を見あげている男がある。そこへまたひとり若い女が駈け込んで行った。彼女は帽子が気になるとみえて、すぐ脱いで、雨にぬれたところをしきりに拭いている。丘のような荷馬車が、その車体よりも大きな箱を積んで私の絵へはいって来た。荷物のうえで、四、五人の労働者がびしょ[#「びしょ」に傍点]濡れのまま笑っているのが見える。ちょうど絵のまん中で、御者は肺いっぱいに雨を飲みながら欠伸《あくび》をして行った。彼女の窓には巡査と犬と子供がいる。巡査は巡査らしく立ちどまってあたりを睥睨《へいげい》し、犬は鎖を張って子供を引いて去った。光る雨ならまだしも五月のにおいを運んで、そこに植物の歓声も沸けば、しずかな詩のこころも見出されようというものだが、これは夜もひるもない暗い騒がしい雨なのだ。朝となく夕方となくろんどん[#「ろんどん」に傍点]を包む湿気の連続なのだ。よし一しきり雨がやんで、白い日光がぼんやりと落ちてくることがあっても、それはまた直ぐ水の線に変って、太陽よりもっと平均に隈《くま》なくそそぐであろう。傘とレイン・コウトの倫敦《ロンドン》に名物の薄明が覆いかぶさる。夜に入って一そうの雨だ。
 すると、ちょうど前の往来に立っている古風な街灯のひかりが流れこんで、雨の真夜中でも新聞の見出しが読めるほど部屋はあかるかった。私たちの間借りしているパアム街一〇九番の三階建の家は、完全におなじ建築と外観の住宅が何|哩《マイル》も何哩も、ほとんど地球のそとにまでつづいているように思われる。たましいを掻《か》き※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》りたいほど退屈なパアム街のなかほどに、109という番号字の剥《は》げかかった茶|煉瓦《れんが》の立体が、赤く枯れた蔦《つた》をいっぱいに絡ませて、よろめきながら街路にむかって踏みこたえている
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