}政府に異心なきことの証明。それに生年月日と署名、そして、もちろんほかに七人の保証人を必要とする。髪を刈るにも芝居を見るにもこの手続きを踏まなければならない――なに、ただそれほどぎごち[#「ぎごち」に傍点]ない感じのする「労働者の天地」だといいたいだけだ。と言ったところで、個人経営の商店もあるにはある。が、許可を得るのが難しいうえに税が高く、第一その筋を商売がたきに廻してやって往けるわけがない。だから微々として振わず片っぱしからつぶれちまう。ちょうど私有財産もまんざら認めないではない、六十万|留《ルーブル》までは立派にゆるしているんだが、四十万の相続税を取るといったように――。
きょうは滞在許可を受けに、旅券と写真と金を持ってホテルの男に伴《つ》れられて莫斯科庁《モツサヴェイト》へ出頭におよぶ。やたらに速力を出して自動車を飛ばしてゆくと、田舎の中学みたいな建物のまえへ出た。それがモスコウ・ソヴェイトの政庁だった。庭をまわって人事課旅券係といったような別棟へ顔を出す。いかに政府が人のうごきを気にして監視しているかが窺われるほど、ここは不安げな群衆でいっぱいだ。めいめい書類のようなものを持ってうろうろ[#「うろうろ」に傍点]している。列を作って順番を待つんだが、私は日本人だから――だろうと思うが――特別にさきにやってくれた。第一の机から第二の机、第三第四と引きまわされる。どこの机に控えているのも子供みたいな若い男か女ばかりだ。ばかにつんけん[#「つんけん」に傍点]威張っている。女は、べらべらの長着《フロック》をだらしなく引っかけて乳まで見えそうなのが紙巻をくわえながら判をついていたり、女工のようなのが人民を訊問していたり、裏店《うらだな》のおかみ然たるのが願書の不備を指摘して突っ返したり、これがみんなお役人なんだから何とも奇抜な光景である。ウクライナのお百姓が韃靼《だったん》人に、「ちょっくらものを伺いますだが」をやったり、その韃靼人が首を振ってにやにや笑ったり――私のところへも仏蘭西《フランス》語で何か訊《き》きにきたやつがある。首をふってにやにや[#「にやにや」に傍点]笑ってやる。
『お前は何のためにモスコウで降りたのか。』
私の前の女中《ニウラ》のような十八、九の女が威丈高《いたけだか》に声をかける。
『芝居を見に。』
ホテルの男が代弁する。心得たものだ。こ
前へ
次へ
全32ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
谷 譲次 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング