)おお、君、飯はまだだろう?
安重根 この私の場合がそうです。なるほど私は、この計画を二、三のいわゆる同志に打ち明けて相談したことがあります。(李剛の傍に坐る)ええ、まだです。じつは、朝から何も食べずに、今まで考えながら歩いていたのです。
李剛 自宅《うち》へ行くと何かあるようだが――。(とルバシカの懐中から紙入れを引き出して、そっと紙幣を数えながら)しかし、それは君、君自身の心持ちに、外部から突っかえ棒を与えて、いっそう決行を期そうとしたのじゃないかな!
安重根 そういう気持ちも、あるにはありました。ところがです、それがいつの間にかこの辺一帯の同志のあいだに拡まってしまって、このごろでは、私が伊藤を殺すことは、まるで既定の事実か何ぞのように言われているのです。
李剛 (冷く)それほど期待されていれば、結構じゃないですか。僕個人としては、前にもたびたび言ったように、この計画には絶対に不賛成なのだが――。
安重根 先生、私も嫌になりました。上っ面な賞讃と激励で玩具にされているような気がして、同志という連中の無責任さに反撥を感じているんです。私はさっき、同志に会いたくない、会うのが恐しくて
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