つもりで、ああして皆を外出させて待っていたのだ。
安重根 (並んで坐る)今朝着いて、あの床屋の店で徳淳に会ったきり、どこへも顔出しせずに、午後いっぱい買物をしていました。ちょっと旅行に出るもんですから、着物や何か――。(行李を叩いて)今夜一晩、黄成鎬さんのところへ泊って、明日《あした》発《た》ちます。
李剛 あした発《た》つ? それはまた急だねえ。だが、日本の客は予定よりすこし早く着くことになった様子だから、なるほど。
安重根 (弁解的に)先生、私は家族を迎えにハルビンへ行くんです。
李剛 (笑う)それもいいだろう。
安重根 (懸命に)ほんとに家族を迎えに行くんです。
李剛 (いっそう哄笑《わら》って)まあ、いいですよ。解っている。あのスパイの張首明に、仲間であるようなことを言わせて、うちへ使いに寄こした君の心持ちもわかるような気がする。が、もう今ごろは、ウラジオ中の同志のあいだに、君が密偵《いぬ》臭いという評判が往き渡っていることだろう。
安重根 すると張首明は、頼んでとおりに、私と親しくしているような口振りだったんですね。
李剛 (心配そうに)朴鳳錫だの白基竜だの、言うなといっても
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