ギンツェを見て)これは珍しいお説である。(すこし不機嫌そうに)いや、障害、困難のごとき、余輩は老眼のせいか、さらにこれを認めませぬ。日露両国の関係は、この列車の疾走するがごとく、益ます前進しつつあるように見受けられる。(すぐ微笑して)|余は露人を愛す《ヤ・リュブリュウ・ルウスキフ》。(ギンツェと握手する)
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伊藤はこの「ヤ・リュブリュウ・ルウスキフ」を棒読みに、不器用に繰り返しながら、順々に握手する。一同微笑する。
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14[#「14」は縦中横]
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パントマイム
同日午前九時、ハルビン駅構内、一二等待合室。
正面中央に改札口ありて、ただちにプラットフォウムに続く。改札口を挟んで、左右は舞台横一面に、腰の低い硝子窓。下手奥、窓の下にストウブを囲んで卓子と椅子二三脚。混雑に備えて取り片づけて、広く空地を取ってある。壁には大時計、列車発着表、露語の広告等掛けあり。下手は食堂《バフェ》の売台、背後に酒壜の棚、菓子の皿などを飾り、上手は三等待合室に通じている。
正面の窓の外はプラットフォウム、窓硝子の上の方に向うの線路が見える。寒い朝で雪が積もり、細かい雪が小止みもなく、降りしきっている。
窓のすぐ外、改札口の右側に露国儀仗兵、左側に清国儀仗兵が、こっちに背中を向けて一列に並んでいるのが、硝子越しに見える。
舞台一ぱいの出迎人だが、この場は物音のみで、人はすべて無言である。礼装の群集がぎっしり詰まって動き廻っている。そこここに一団を作って談笑している。知った顔を見つけて遠くから呼ぶ。人を分けて挨拶に行く。肩を叩いて笑う。久濶を叙している。それらの談笑挨拶等、その意《こころ》で口が動くだけでいっさい発音しない。汽車を待つ間のあわただしい一刻。群集の跫音、煙草のけむり、声のないざわめき。
美々しい礼服の日清露の顕官が続々到着する。その中に露国蔵相ココフツォフの一行、東清鉄道副総裁ウェンツェリ、同鉄道長官ホルワット少将、交渉局長ダニエル、清国吉林外交部の大官、ハルビン市長ベルグなどがいる。ボンネットの夫人連も混っている。日本人側は居留民会役員、満鉄代理店日満商会員、各団体代表者、一般出迎人。及び各国領事団。
日本人が大部分である。将校マント、フロック、モウニング、シルクハット、明治四十
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