見れば、人生は義務の永遠なる連鎖也、一鐶去れば一鐶來る。所謂る至善の境は一片の理想に過ぎずして、力行の道程は日月と共に終始せむ。人は旦暮の生を受けて是の間に營々たり、命《めい》や慘澹たらずとせむや。眞理とは何ぞやとは、ピラートが怪み問ひたる言葉なりき。然れども二千年の歴史に於て誰か吾人に眞理を明ししものぞ。學者は天上の星の如く、著書は海邊の砂の如し、彼等自らの信じて不朽の眞理と公言せしもの、今はた何の状ぞ。學者よ、吾人に究竟の眞理を訓へむよりは、古の哲學者の如く、大地を負へる龜を負ふものの何物なるかを究むるを寧ろ賢なりとせむ。畢竟知識は疑問の積聚のみ、一疑※[#非0213外字:「厂+菫」、ただし「菫」は第3水準1−92−16のつくりの形、読みは「わづ」、289−上−12]かに解すれば一疑新たに次ぐ。依つて以て安住の地盤を求めむは、百年坐して河清を待つに等しからむ。
 美的生活は全く是れと異なれり。其の價値や既に絶對也、イントリンジック也。依る所なく、拘る所なく、渾然として理義の境を超脱す。是れ安心の宿る所、平和の居る所、生々存續の勢力を有して宇宙發達の元氣の藏せらるゝ所、人生至樂の境地、是を外にして何處にか求むべき。道徳や、知識や、是の幸福を調攝して、其の發達を助成するところに用あり。其の用や消極的たり、相對的たり、方便たり、手段たり。夫《か》の僞學と云ひ、腐儒と云ひ、方便主義と云ふが如きものは、畢竟是の人生の歸趣に關する本末を顛倒したるところに生ずる病的現象に外ならざるのみ。
 是の如く説き來らば、讀者は其の世上道學先生の所説と甚《はなは》だ同じからざるを怪まむ。然れども讀者よ、吾人は何の宿罪ありて道學先生の云爲に傚はざるべからざる乎。

     六 美的生活の事例

 上文を説けるが如く、價値の絶對なるもの、是を美的と爲し、美的價値の最も醇粹なるもの、是を本能の滿足と爲す。然れども本能以外の事物と雖も、其の價値の絶對と認めらるゝものは亦美的たるを妨げず。是《こゝ》に於てか美的生活の範圍も亦隨うて本能の滿足以外に擴充せらるゝことを得。
 例へば、道徳は相對の價値を有するを以て本來の性質と爲す。然れども若し人ありて道徳其物に絶對の價値ありと爲し、其の奉行を以て人生究竟の目的なりとなさば、是れ既に道徳的に非ずして、美的也。是の如き人の態度は、實際的に非ずして翫賞的也。古の忠臣義士、孝子烈婦の遺したる幾多の美談は、道徳の名によりて傳はれりと雖も、實は一種の美的行爲のみ。彼等の其の道に就くや、鳥の塒《ねぐら》に歸るが如かりしのみ。其の心事や渾然たり、豈其の間に目的と手段とあらむや。
 眞理其物の考察を以て無上の樂みとなし、何が故に眞理を考察するかてふ本來の目的を遺却するものも亦知識的生活を超脱して美的生活の範圍に入れるもの也。眞正なる學者の眼より見れば、是の如き人は其の爲すべきことを忘れたる一學究に過ぎざらむのみ。然れども彼は眞正なる學者の享受し難き滿足を、其の學術より獲得し得る也。
 世に守錢奴と稱するものあり、彼は金錢を貯ふるを以て人生の至樂となす。是れ明に金錢本來の性質を遺却し、手段を以て目的と誤認したるものなるを以て、道徳上の痴人たるを免れざるべし。而かも金錢其物を以て人生の目的と信じたる彼は、學術其物を以て人生の目的と認めたる學者の如く、既に美的生活中の人たる也。守錢奴は決して吾人の好む所に非ずと雖も、守錢奴自らにとりては、金錢は彼れの安心也、至福也。吾人は彼れの心事を憐むと同時に、深く名教の外に得たる彼れの樂地を嫉まずむばあらず。
 戀愛[#底本では「變愛」]は美的生活の最も美はしきものの一乎。是の憂患に充《み》てる人生に於て、相愛し相慕へる年少男女が、薔薇花《ばら》かをる籬の蔭、月の光あかき磯のほとりに、手を携へて互に戀情を語り合ふ時、其の樂みや如何ならむ。彼等の爲す所を以て痴態と笑ふ勿れ。かゝる痴態は眞に人を羨殺するに足るものならずや。一旦世事意の如くならず、思ひしことは泡の如く消えて、運命、鐵の如く彼等の間を斷たむとする時、百年の命を以て一日の情に殉し、相擁して莞爾として死に就くが如きは、人生何物の至樂か能く是れに類《たぐ》ふべき。道學先生の見地よりすれば、戀愛[#底本では「變愛」]の如きは青春の迷ひに過ぎざらむ、然れども是の如き迷ひは醒めたるものにとりては永遠の悔恨に非ざるべき乎。
 昔者、印度に瑜伽《ヨーガ》と稱する苦行の學徒ありき。彼等の爲すところは實に今の人を戰慄せしむるに足るものなりき。而かも是の如き苦行は彼等にとりて即ち解脱の道也、無上の淨樂也。彼等は是の無上の道に就かむが爲に、其の一指を擧げて輙ち捉へ得べかりしもろ/\の人生の逸樂を斥けて悔ゆる所なかりし也。近くはトラピストの例に見よ。彼等は無言の行者也。一切の聲色を斷絶して一神の向仰に專念す。世榮に競奔するものより見れば抑※[#二の字点、1−2−22]何等の呆癡ぞや。然れども誰か知らむ、彼等の生活には實に王者を艶羨せしめ得べきものある也。彼等は是の平和と安心と怡樂とを果して何處より得來りたる、富貴名利の外に人生の樂地を求め得たる彼等は幸なる哉。
 詩人美術家が甘じて其好む所に殉したるの事例は讀者の既に熟知する所ならむ。畢竟藝術は彼等の生命也、理想也。是が爲に生死するは詩人たり美術家たる彼等の天職也。是の天職を全うせむが爲に、彼等の或者は食を路傍に乞へり、或者は其の故郷を追放せられたり、或者は帝王の怒に觸れて市に腰斬せられたり。あゝ死を以ても脅かすべからざる彼等の安心は貴き哉。富貴|前《まへ》にあり、名利|後《うしろ》にあり、其の意に反して一足を投ぜむ乎、是れ盡く彼等の物のみ。而かも彼等は斯くして得たる生に較ぶれば、死の遙に幸なることを認めし也。請ひ問はむ、世の富貴に誇り、權威に傲るものの幾人か能く這般の消息を悟了せる。
 是の如きは美的生活の二三の事例也。金錢のみ人を富ますものに非ず、權勢のみ人を貴くするものに非ず、爾の胸に王國を認むるものにして、初めて與《とも》に美的生活を語るべけむ。

     七 時弊及び結論

 吾人の言甚だ過ぎたるものあるが如し。然れども讀者よ、時弊に憤る者の言はおのづから是の如くならざるを得ざる也。
 何をか時弊と云ふ、吾人は是を數ふるの煩はしきに堪へざる也。夫《か》の道學先生の説く所を聞かずや、何ぞ其の拘々として缺々たる。彼等は、人の作りたるものを以て、天の造りたるものを律せむとするものに非ずや。處に隨うて變易すべき道徳に附與するに、萬能の威權を以てせむとするものに非ずや。彼等旦暮に叫んで曰く、爾の義務を盡し、爾の權利を全うせよと。彼等の所謂る義務とは、借りたるものを返すの謂に非ずや。彼等の所謂る權利とは、貸したるものを收むるの謂に非ずや。然れども人生の歸趣は貸借の外に超脱するを如何せむ。又|夫《か》の學究先生の訓ふる所を聞かずや、何ぞ其の迂遠にして吾等の生活と相關せざることの甚しき。知識は吾人の歎ずるところ、然れども知識其物に幾何の價値かある。宇宙は畢竟疑問の積聚也、人は是の疑問の解決を待つて初めて安じ得べくむば、吾人寧ろ生なきを幸とせむ。野の鳥を見よ、勞《はたら》かず、紡《つむ》がざれども、尚ほ好く舞ひ好く歌ふに非ずや。
 道徳と知識とは人類の特有に係ると雖も、畢竟吾人が本能の滿足に對して必須の方便たるに過ぎざること、既に説けるが如し。然れども是の如き煩瑣なる方便を待つて初めて得らるべき幸福は、吾人にとりて甚だ高價なるものに非ずや。人の虚榮を好むや、禽獸の卑しむべきを知りて、其の羨むべきを悟らず、漫りに道義を衒ひ知識を誇るも、人生の歸趣に至りては茫然として思ふところなし。五十年の短き生涯は、是の如くにして※[#「つつみがまえ+夕」、第3水準1−14−76]忙の間に勞し去らるゝを見ては、吾人豈惆悵たらざるを得むや。蓋し今の世にありて人生本來の幸福を求めむには、吾人の道徳と知識とは餘りに煩瑣にして又餘りに迂遠なるに過ぐ。夫《か》の道學先生の如き、若し眞に世道人心の爲に計らむと欲せば、須らく率先して今日の態度を一變せざるべからず。
 嗚呼、憫むべきは餓えたる人に非ずして、麺包の外に糧なき人のみ。人性本然の要求の滿足せられたるところ、其處には、乞食の生活にも帝王の羨むべき樂地ありて存する也。悲むべきは貧しき人に非ずして、富貴の外に價値を解せざる人のみ。吾人は戀愛を解せずして死する人の生命《いのち》に、多くの價値あるを信ずる能はざる也。傷《いた》むべきは、生命を思はずして糧を思ひ、身體を憂へずして衣を憂ふる人のみ。彼は生れて其の爲すべきことを知らざる也。今や世事日に※[#「つつみがまえ+夕」、第3水準1−14−76]劇を加へて人は沈思に遑なし、然れども貧しき者よ、憂ふる勿れ。望みを失へるものよ、悲む勿れ。王國は常に爾の胸に在り、而して爾をして是の福音を解せしむるものは、美的生活是れ也。
[#地から2字上げ](明治三十四年八月)



底本:「日本現代文學全集8 齋藤緑雨・石橋忍月・高山樗牛・内田魯庵集」講談社
   1967(昭和42)年11月19日初版発行
   1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷発行
入力:三州生桑
校正:志田火路司、小林繁雄
2002年10月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高山 樗牛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング