の日の朝、和歌の浦の漁夫《ぎよふ》、磯邊に來て見れば、松の根元に腹掻切《はらかきき》りて死せる一個の僧あり。流石|汚《けが》すに忍びでや、墨染の衣は傍らの松枝《まつがえ》に打ち懸けて、身に纏へるは練布の白衣、脚下に綿津見《わたつみ》の淵を置きて、刀持つ手に毛程の筋の亂れも見せず、血汐の糊《のり》に塗《まみ》れたる朱溝《しゆみぞ》の鞘卷|逆手《さかて》てに握りて、膝も頽《くづ》さず端坐《たんざ》せる姿は、何れ名ある武士の果ならん。
 嗚呼是れ、戀に望みを失ひて、世を捨てし身の世に捨てられず、主家の運命を影に負うて二十六年を盛衰の波に漂はせし、齋藤瀧口時頼が、まこと浮世の最後なりけり。



底本:「瀧口入道」岩波文庫、岩波書店
   1938(昭和13)年12月2日第1刷発行
   1968(昭和43)年10月16日第32刷改版発行
   1980(昭和55)年3月10日第43刷発行
入力:笠置一郎
校正:双沢薫
2001年7月12日公開
2001年7月16日修正
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