し瀧口時頼。世を捨てさせし其人は、可愛《いとし》とは思ひながらも世の關守《せきもり》に隔てられて無情《つれな》しと見せたる己れ横笛ならんとは。餘りの事に左右《とかう》の考も出でず、夢幻《ゆめまぼろし》の思ひして身を小机《こづくゑ》に打ち伏せば、『可惜《あたら》武士《ものゝふ》に世を捨てさせし』と怨むが如く、嘲けるが如き聲、何處《いづこ》よりともなく我が耳にひゞきて、其度毎《そのたびごと》に總身|宛然《さながら》水を浴《あ》びし如く、心も體も凍《こほ》らんばかり、襟を傳ふ涙の雫のみさすが哀れを隱し得ず。
 掻き亂れたる心、辛《やうや》う我に歸りて、熟々《つら/\》思へば、世を捨つるとは輕々しき戲事《ざれごと》に非ず。瀧口殿は六波羅上下に名を知られたる屈指の武士、希望に滿《み》てる春秋長き行末を、二十幾年の男盛《をとこざか》りに截斷《たちき》りて、樂しき此世を外に、身を佛門に歸し給ふ、世にも憐れの事にこそ。數多《あまた》の人に優《まさ》りて、君の御覺《おんおぼえ》殊に愛《めで》たく、一族の譽《ほまれ》を雙の肩に擔《にな》うて、家には其子を杖なる年老いたる親御《おやご》もありと聞く。他目《よそめ》にも數《かず》あるまじき君父の恩義|惜氣《をしげ》もなく振り捨てて、人の譏《そし》り、世の笑ひを思ひ給はで、弓矢とる御身に瑜伽《ゆが》三密の嗜《たしなみ》は、世の無常を如何に深く觀じ給ひけるぞ。ああ是れ皆此の身、此の横笛の爲《な》せし業《わざ》、刃《やいば》こそ當てね、可惜《あたら》武士を手に掛けしも同じ事。――思へば思ふほど、乙女心《をとめごゝろ》の胸塞《むねふさが》りて泣《な》くより外にせん術《すべ》もなし。
 吁々、協《かな》はずば世を捨てんまで我を思ひくれし人の情の程こそ中々に有り難けれ。儘ならぬ世の義理に心ならずとは言ひながら、斯かる誠ある人に、只々|一言《ひとこと》の返事《かへりごと》だにせざりし我こそ今更に悔《くや》しくも亦罪深けれ。手筐《てばこ》の底に祕《ひ》め置きし瀧口が送りし文、涙ながらに取り出して心遣《こゝろや》りにも繰《く》り返せば、先には斯くまでとも思はざりしに、今の心に讀みもて行く一字毎に腸《はらわた》も千切《ちぎ》るゝばかり。百夜《もゝよ》の榻《しぢ》の端《はし》がきに、今や我も數書《かずか》くまじ、只々つれなき浮世と諦《あきら》めても、命ある身のさ
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