六波羅一の優男《やさをとこ》を物の見事に狂はせながら、「許し給はれ」とは今更ら何の醉興《すゐきよう》ぞ。吁々《あゝ》然《さ》に非ず、何處《いづこ》までの浮世なれば、心にもあらぬ情《つれ》なさに、互ひの胸の隔てられ、恨みしものは恨みしまゝ、恨みられしものは恨みられしまゝに、あはれ皮|一重《ひとへ》を堺に、身を換へ世を隔てても胡越の思ひをなす、吾れ人の運命こそ果敢《はか》なけれ。横笛が胸の裏こそ、中々に口にも筆にも盡されね。
 飛鳥川《あすかがは》の明日《あす》をも俟たで、絶ゆる間《ま》もなく移り變る世の淵瀬《ふちせ》に、百千代《もゝちよ》を貫きて變らぬものあらば、そは人の情にこそあんなれ。女子《をなご》の命《いのち》は只一《たゞひと》つの戀、あらゆる此世の望み、樂み、さては優《いう》にやさしき月花《つきはな》の哀れ、何れ戀ならぬはなし。胸に燃ゆる情の焔《ほのほ》は、他を燒かざれば其身を焚《や》かん、まゝならぬ戀路《こひぢ》に世を喞《かこ》ちて、秋ならぬ風に散りゆく露の命葉《いのちば》、或は墨染《すみぞめ》の衣《ころも》に有漏《うろ》の身を裹《つゝ》む、さては淵川《ふちかは》に身を棄つる、何れか戀の炎《ほむら》に其躯《そのみ》を燒き蓋《つ》くし、殘る冷灰の哀れにあらざらんや。女子の性《さが》の斯く情深《なさけふか》きに、いかで横笛のみ濁り無情《つれな》かるべきぞ。
 人知らぬ思ひに秋の夜半《よは》を泣きくらす横笛が心を尋ぬれば、次の如くなりしなり。
 想ひ※[#「※」は「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11、52−5]《まは》せば、はや半歳の昔となりぬ。西八條の屋方《やかた》に花見の宴《うたげ》ありし時、人の勸《すゝ》めに默《もだ》し難く、舞ひ終る一曲の春鶯囀に、數《かず》ならぬ身の端《はし》なくも人に知らるゝ身となりては、御室《おむろ》の郷《さと》に靜けき春秋《はるあき》を娯《たの》しみし身の心惑《こゝろまど》はるゝ事のみ多かり。見も知らず、聞きも習はぬ人々の人傳《ひとづて》に送る薄色《うすいろ》の折紙に、我を宛名《あてな》の哀れの數々《かず/\》。都慣《みやこな》れぬ身には只々胸のみ驚かれて、何と答へん術《すべ》だに知らず、其儘心なく打ち過ぐる程に、雲井の月の懸橋《かけはし》絶《た》えしと思ひてや、心を寄するものも漸く尠《すくな》くなりて、始めに渝《かは》らず文
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