恨み、果《はた》さるべき日は遂《つひ》に來《きた》りぬ。こぞの秋、われ思はずも病にかゝりて東海のほとりにさすらひ、こゝに身を清見潟の山水に寄せて、晴夜《せいや》の鐘に多年のおもひをのべむとす。ああ思ひきや、西土《せいど》はるかに征《ゆ》くべかりし身の、こゝに病躯《びやうく》を故山にとゞめて山河の契りをはたさむとは。奇《く》しくもあざなはれたるわが運命《うんめい》かな。
 鐘の音はわがおもひを追うて幾たびかひゞきぬ。
 うるはしきかな、山や水や、僞《いつは》りなく、そねみなく、憎《にく》みなく、爭《あらそ》ひなし。人は生死のちまたに迷ひ、世は興亡《こうばう》のわだちを廻《めぐ》る。山や、水や、かはるところなきなり。おもへば恥《はづ》かしきわが身かな。こゝに恨みある身の病を養へばとて、千年《ちとせ》の齡《よはひ》、もとより保つべくもあらず、やがて哀れは夢のたゞちに消えて知る人もなき枯骨《ここつ》となりはてなむず。われは薄倖兒《はくかうじ》、數《かず》ならぬ身の世にながらへてまた何《なに》の爲《な》すところぞ。さるに、をしむまじき命のなほ捨てがてに、ここに漂浪の旦暮をかさぬるこそ、おろかにもまた哀れならずや。
 鐘の音はまたいくたびかひゞきわたりぬ。わがおもひいよ/\深うなりつ。
 夜はいたく更けぬ。山と水と寂寞として地に横はり、星と月と寂寞《じやくまく》として天にかゝれり。うるはしの極《き》はみかな。願はくは月よ傾かざれ、星よ沈まざれ、永久《とは》の夜の、この世の聲色《せいしよく》を掩《おほ》ひつゝめよかし。されどわれには祷《いの》るべき言葉なかりき。
 最後の鐘聲おこりぬ。餘音《よいん》とほくわたりて、到るところに咏嘆のひゞきをとゞめぬ。うれしの鐘の音や、人間の言の葉に上《のぼ》りがたきわがいくそのおもひ、この鐘ならで誰か言ひとかむ。

 年を越えてわれ都にかへりぬ。わが思ひまた胸にむすぼれつ。夜半のねざめに清見寺の鐘聲またきくべからず。われは今に於ても幾たびか思ひぬ。唱一語《しやういちご》以てわがこの思ひを言ひあらはさむすべもがな。かくて月あかき一夜、海風《かいふう》に向ひて長く嘯《うそぶ》かなむ。わが胸のいかばかり輕《かる》かるべき。
[#地から1字上げ](明治三十四年五月)



底本:「現代日本文學全集 第十三篇」改造社
   1928(昭和3)年12月1日発
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