)には、時々侍従をお使いとして学校へお遣《つか》わしになって、生徒の作品のようなものをもお持ち帰りで、お慰みに御覧に入れたこともありまして、何かと宮内省とは縁故がありましたから、今度の楠公の馬については主馬寮《しゅめりょう》の藤波氏にも種々お尋ねした関係もあり木型の出来上がったことも、侍従局から叡聞《えいぶん》に達したのでありましょう。
 それで、右の木彫を宮城へ持って来て御覧に供せよとの御沙汰《ごさた》が岡倉校長に降《くだ》ったのでありました。その事について、三月十七日、斎藤侍従が学校へお出でになって校長と打ち合せの上、上覧に供える時日は来《きた》る二十一日午前十時と定められました。
 学校は名誉なことにて早速お受けを致して、関係者一同協議をしましたが、何しろかなり大作であるから、御指定の場所にそれを運搬して組み立てるまでの手順、何時間手間が掛かるか、途中故障などが生ずるようなことはないか、その辺のことを充分研究する必要がありますので、まずその練習をすることになりました。
 行《や》り方は、三本の丸太をもって足場の替りにして、滑車《せび》で引き揚げると、旨《うま》く組み立てが出来まし
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