になってお出でで御座いました。
そして、陛下には、いろいろこの彫刻の急所々々を御下問になるので、岡倉校長は、一々お答えを申し上げたが、実に御下問の条々が理に叶《かな》って尋常のお尋ねではないので、岡倉校長は恐懼《きょうく》致されたと、後に承ったことで御座いました。私たちも馬の直ぐ近くに整列致しておりますので、お尋ねの御言葉は能《よ》く聞き取れました。この楠公馬上の像は楠公がどうしている所の図かとのお尋ねがあった時、岡倉校長は、これは楠公の生涯において最も時を得ました折のことにて、金剛山の重囲を破って兵庫に出で、隠岐より還御あらせられたる天皇を御道筋にて御迎え申し上げている所で御座いますと奉答をされたよう承りました。なお、聖上にはこの像は、木の材を纏《まと》めて製作したものか、学校の教員たちが力を協《あわ》せて作ったものか、などいろいろ立ち入って御下問があったとの事で、御答えを申すには、実にゆるがせでなく恐れ入ったということをこれまた校長から後に承りました。
聖上御覧の間は、私は責任が重いものでありますから非常に心配をしました。御覧済みとなって御入御《ごにゅうぎょ》になった時はほっとしました。今日でも骨身《ほねみ》に滲《し》みるようにその時心配をした事を記憶しておりますが、実は、聖上御覧の間に、楠公の甲の鍬形《くわがた》と鍬形との間にある前立《まえだて》の剣が、風のために揺れて、ゆらゆらと動いているのには実に胸がどきどき致しました。これは組み立ての時に、どうしたことか、楔《くさび》をはめることを忘れたので、根が締まっていないので風で動いたので、楔一本のため、どれ位心配をしたことか。もし剣が風のために飛んだりなどしては大変な不調法となることであったが、落ち度もなくて胸を撫《な》で卸《おろ》した次第でありました。
陛下御覧済みになりますと、引き続いて、午後一時に皇后陛下が御出御で、これもなかなか御念入りで三十分ほども御覧で御座いましたが、この時も落ち度なく役目を終ったことで御座いました。元通り取り崩《くず》してちょうど午後二時半頃一同は引き退《さが》りました。宮中にて一同|午餐《ごさん》を頂戴《ちょうだい》しまして、目出たく学校へ帰ったのが午後四時頃でありました。
当日はまことに万事が滞りなく都合よく運んだのは私どもの幸運で御座いましたが、こんな大事な場合は、能く能く落ち附いて考えなければならないことは、今も申したようなちょっとした手抜かりがあって、生命《いのち》を縮めるような心配を致さねばなりませんから、心すべきことであると存じます。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2007年4月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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