良の大仏と同格にしてしまいました。そこで口上看板を仮名垣魯文《かながきろぶん》先生に頼み、立派な枠《わく》を附け、花を周囲に飾って高く掲げました。こんな興業物的の方は友達の方が受け持ちでやったのでありました。
それから、胎内の方は野見の親父《おやじ》さんの受け持ちで、切舞台《きりぶたい》には閻魔《えんま》の踊りを見せようという趣向。そこでまた私は閻魔の顔を拵えさせられるなど自分の仕事をそっち退《の》けにして多忙《いそが》しいことで、エンマの顔は張り子に抜いてぐるぐる目玉を動かすような仕掛けにして、中へ野見の老人が這入って仕草をするという騒ぎ……一方、古物展覧の方も古代な布片《きれ》とか仏像のような何んでも時代が附いて曰《いわ》く因縁のありそうなものを並べ、鳴戸のお弓の涙などと小供《こども》だましでなく、大人でも感服しそうな因縁書などを野見の老人がやって、一切、内外ともに出来上がりまして、いよいよ蓋《ふた》を明けましたのが確か五月の六日……五日の節句という目論見《もくろみ》であったが、間に合わず、六日になったように記憶しております。
この興業物は「見流しもの」といって、ずっと見て通って、見た客は追い出してしまうので、見世物としては大勢を入れるに都合の好《い》いやり方であります。大仏の頭が三畳敷位の広さで人間が五、六人位は入《はい》れますが、目、口、耳の窓から外を見ると、先の客は後から急《せ》かれて出て行くので、入り交《かわ》り立ち交るという手順で、手ッ取り早く出来ております。蓋が明いた六日の初日には果して大入りでありました。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2007年2月15日作成
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