のですから思っていた人もありました。
とにかく、明治十三年に生まれた竜池会というものは、その後に起った美術界のいろいろな会の母でありました。そして好い根柢《こんてい》を植え附けたのであった。
つまり、少数の先覚者が、幕末より明治初年にかけ、日本の美術は衰退し行くにかかわらず、在来の日本古美術は、どしどし西洋人に持って行かれ、好《よ》いものを製《こしら》える人は少なくなり、日本にあるものは持って行かれ、日本の美術が空《から》になって行く有様を見てこれはこうしては置けないと気が附き一方これを救済し、一方これを奨励するということが動機となって、ついに竜池会が始まったのですが、この事はまことに日本の美術界に取っては有難いことであったのであります。
而《しか》して、明治十七年日本美術協会が生まれてから、さらに進歩発達の度を高めて行ったのでありました。美術協会が上野に引っ越して来た時は、副会頭の河瀬秀治《かわせひではる》氏がやめ、九鬼隆一《くきりゅういち》氏がその後を継ぎました。会頭の佐野常民氏はまことに我が美術界に取っての大恩人で、人物といい、見識といい、実に得がたい方でありました。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2006年12月22日作成
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