ている彼《か》の増減自在の「脂土」のことにも思い到《いた》り、手法は異《ちが》うにしても、蝋でやることも面白からん、これは大いに彫刻のたよりとなるであろう。初めての仕事なれど、何も経験である。行って見ようかと私の心は動いて来ました。
それに勝次郎という人の仕事の上手であることをも予《かね》てから知っており、この人と一緒に仕事することは、いろいろ智識を開くことにもなろう。また仏師の仕事と異《ちが》って、鋳物の方になると、思いもよらぬ面白い仕事をするかも知れない。何も修業だ、とここに決心しまして、承知の旨を答えました。
大島老人は大いに喜び、早速、明日《あした》から来てもらいたいというので、まるで、足元から鳥の立つような話でありました。
さて、仕事に掛かって見ると、なるほど、彫刻の土台があることだから、出来ないことはない。蝋を取って指でひねって物の形を作る……なかなかこれは面白いと思う。二日三日と経《た》つと存外手に入って来る。
「それ見なさい。私のいった通りでしょう」
大島老人にこにこ笑っている。
かくて如雲氏とともに毎日仕事を励み、とうとう十四年出品の作物を鋳物に作り上げてしまいました。
この製作品は竜王の像で、これは勝次郎氏作り、私はお供と前立ちの方を主《おも》にやったのです。そうして丸二年間大島氏の家に起臥《おきふし》して鋳金の仕事を修業したのである。
したがって参考のため、その頃の私の給料のことを話すが、それが面白いのは、大島の老人が余計に給料を払おうというのを、私がそれを辞退して長い間押し問答をしたことを覚えている。仕事に来たその月|晦日《みそか》の夜の事、大島老人は、最初私に向って、
「さて、あなたも、いよいよ家《うち》へ来て下さることになったから給料を決めよう。一体、幾金《いくら》上げてよいか。お望みのところをいって下さい」という。私はこれまで師匠の宅へ通っている間、日給二十|匁《もんめ》ずつを貰っていたから、これまで通り、二十匁(この二十匁は三日で六十匁一両に当る)でよろしいのだが、まず一|分《ぶ》二朱も頂けば結構というと、
「今時《いまどき》の時節にそんな馬鹿なことがあるものか、一分や二分ではどうなることも出来やしない。私は一両二分差し上げる。また急なものだから時々夜業をお頼みすることがあるから、それは半人手間《はんにんでま》というこ
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