っている師匠も我《が》を折って、
「日本人と毛唐人との思惑違いというのなら話は分る。では、もう一度やり直して見よう」
ということになりました。私も傍で聞いておって、なるほど、ベンケイのいう所至極|道理《もっとも》であると思わぬわけに行きませんで、よく、先方の意味が了解された気がしました。
ベンケイが帰ると、師匠はさらに私に向って、もう一度やり直しを頼むという順序となった。そこで、今度は私も一層心配だが、先方の意のある所が充分|腑《ふ》にも落ちていることでありますから、今度は思い切ってこなし[#「こなし」に傍点]て、下絵には便《たよ》らずに自分勝手にやって退《の》けたといっても好い位に大胆に拵えました。つまり思い切りこなし[#「こなし」に傍点]てから唐子の服をつけさせるという寸法に彫って行ったのです。かれこれ半月ばかり経《た》って、まず自分の考え通りに出来たから、師匠に見せました。
「なるほど、これは好《い》い。これならベンケイが見てもきっと気に入るだろう」
というので、先方へ知らせる。直ぐベンケイが来て、一目見て、
「これは結構、もう客に見せなくても、これなら大丈夫。私が責任を持ちます。有難う」
とすこぶる意に適《かな》った容子《ようす》で帰りました。
そこで、いよいよ本当に製作に取り掛かることになったのですが、何しろ、私も、生まれて初めての大作のことで、かなり苦心をしました。
かくて、十一年の十一月頃、全く製作を終り、店に飾り、先方の検分を終って唐子の彫刻は引き取られて行きました。この大作は私の修業としてはなかなかためになりましたと同時に、また一面には、こうした作をやったことなどから次第に外国向きの注文を多く師匠の店で引き受ける素地を作ったことになりました。
この時代から、そろそろ日本の従来の仏師の店において外国貿易品的傾向の製作が多くなって行く一転機の時代に這入《はい》って来たのでありました。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2006年9月8日作成
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