かを働いたようなわけであって、ほとんど二六時中、仕事のことに没頭していることであり、また朝夕の行き帰りの道もなかなか遠くもある処から随分とそれは骨が折れました。そうして小《こ》一年もこういう状態が続いて明治九年も暮れてしまいましたが、その年か翌年であったか、私たち一家が全部堀田原の家へ転宅することになりました。
これは金谷のおきせさんが一旦世帯を堀田原へ移して一人でいましたが、まだそうお婆さんになったというではなく、再縁のはなしが出て或る家へ嫁入りすることになったので、したがってお悦さんが一人になること故、この方は蔵前の師匠の方へ手伝いがてら一緒になるということになり、堀田原の家が明《あ》くによって、師匠は私に其家《それ》へ来てくれてはどうだという。私の方も堀田原へ移れば家もこれまでよりは手広になるし、通う道程《みちのり》も四分の一位になって都合もよいので、師匠の意のままに堀田原へ全部移転したのであった。
私に取って思い出の多かった源空寺門前の家とは、これで縁が切れたことになるのです。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2006年9月8日作成
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