たようであった。
その時、その席で、師匠が彼の人に話しているのを私は聞いていたが、もし幸吉が悦の養子になれないとすれば、自分は二百七十円政府へ納めるつもりであったが、お蔭で手軽く済んでよかったなどいっておられました。思うに師匠は私のために大金を出しても兵隊に取られぬようにしようという決心であったと察せられました。師匠がいかに私のことを考えていられたか、今日でもその当時のことを思うと師恩の大なることを感ぜぬわけに参りません。
さて、私はお悦さんの養子という名義になったのですから、私はお悦さんに対し養子であるから、何か形をと考えて、月々一円五十銭を小遣いに差し上げることに師匠に話しますと、それは自分として甚だ困る。姉は私の親替わりに私が何所《どこ》までも見るつもり、今度の事は名義だけだから別に心配はいらぬ。しかし強《し》いてお前が気が済まぬというならば、堀田原の家の家賃ということにして、それを受けよう。そして、それを姉の小遣いに差し上げることにしようと義理堅く、私は自分の志が通れば好《い》いことだからそういうことにしてもらいました。
何かにつけて、東雲師は義理堅い人であった。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2006年9月8日作成
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