った。
 私は部屋の隅の方へチョコナンと正坐《すわ》りどんなことをするかと見ておりますと、やがて、お袋さんが地《じ》を弾《ひ》き出すと、その若い男の弟子が立って踊り出した。娘のお師匠さんが扇子で手拍子を取って、何んとか声を掛けると、若い男は変な腰つき手つきをして一生懸命に踊っていたが、その状態の変テコなことといっては実に歯が浮き、見ていても顔から火が出るよう……笑止といって好《い》いか、馬鹿々々しいといって好いか、とても顔を上げて正面《まとも》に見られた図ではありません。
 私は、飛んだ処へ軽はずみに飛び込んで、飛んだことをしたと、後悔の念やら、慚愧《ざんき》の冷汗やら、散々なことでありましたが、それにつけても思うには、男と生まれて、こんな馬鹿気《ばかげ》た真似《まね》の出来るものではない。一足飛びに上手《じょうず》になって、初手《しょて》から立派に踊りが出来ればとにかく、こんなことを毎晩見せられたり、やがては自分もこんな腰附き手附きをして変梃《へんてこ》極まる仕草をしなければならんとは、とても我慢の出来るわけのものではない。こんなことで時間を費やす位なら、夜業《よなべ》でもした方がよほど増しだ、と思い出すと、もう、とても大儀《たいぎ》で、其所へ坐っていることが出来ず、とうとう中途で、挨拶もせず、こそこそとその部屋《へや》を逃げ出して帰って来て、ホッとしたことがありました。
 それから、翌朝、裏の井戸へ顔を洗いに行くにも、そのお袋さんが出ては来ないかと心配で、松どんに水を汲《く》んでもらって井戸端へ出られないなど散々気を揉《も》みましたが、先方では、何か私に対して粗怱《そそう》でもあったかなど物固い人たちとて気にし、どういう訳で中途で帰られたか、心配をしてお袋さんが、師匠の家へ申し訳に来るやら、師匠の妻君がいいわけをするやら、師匠はまた私に、揶揄《からかい》半分に、一遍切りで逃げて帰るなぞ笑うやら、まことに馬鹿々々しいことであった。
 要するに、踊りなどいうことは、真面目《まじめ》にいうと、その性に合わなかったものと見える。その頃おい、この母娘《おやこ》のように、武士の家庭のものが生計《たずき》のために職を求め、いろいろおかしい話、気の毒なはなしなど数々ありました。



底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
   1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2006年9月8日作成
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