匠や親からいいつかった荷の番の責任を感じている上に、もう一度引っ返して来るから、といって出て行った言葉もあることとて一生懸命に荷物を守っておりました。
 すると、見る見る中《うち》に、両側の家は焼け落ちて、今にも万年屋の屋根を火先が舐めそうになって来る。と、火消しの一群が火の粉を蹴って駆け来り、その中の一人が、長梯子《ながはしご》を万年屋の大屋根の庇《ひさし》に掛けました。そうして、するすると屋根へ上って行きました。
「おい、お前、こんな所に何をまごまごしてるんだ」
 一人の火消しは私を見て怒鳴りました。
「私は荷物の番をしてるんだ」
 そういいますと、
「何、荷物の番をしてるんだ? 途方もない。ぐつぐつしてると、荷物より先に手前の生命《いのち》がないぞ、早く逃げろ、早く逃げろ」
 そう怒鳴りつけますが、さりとて、私は逃げ出すわけには行かない。師匠の預かり物の番をしているので、師匠や親が、もう一度|此所《ここ》へ帰って来るまでは、何がどうあろうと踏み止《とど》まろうと、火消しの怒鳴るのをも係《かま》わず、やはり荷物へ噛《かじ》り附いていました。
 すると、仕事師の一人が、突然《いきなり》、私を突き飛ばして、
「逃げなきゃ死んでしまうぞ。早く逃げろ」
と、恐ろしい見幕で叫びながら、また私を突き出してくれました。私は突き飛ばされたのだか、それが突き出してくれたのだか、そんなことも夢中で、ともかく自分の身体が荷物の側から大分離れた所へ弾《はじ》き出されていて、二度とは、もう荷物の側へも行けないので、とうとう断念《あきら》めて何処《どこ》かへ逃げて行こうと決心しました。
 しかし、逃げるにしても、何処へ逃げて行って好いか分りません。とにかく、師匠や親の行った方角へと心差して逃げ道を雷門方向に取りました。

 一方、私の父は、どうしたかというと、大混雑の中で、師匠や政吉を見失い、自分一人となると、さあ、子供のことが案じられて来ました。万年屋の前に荷物の番をさせて置いた悴《せがれ》の身の上が気遣《きづか》われて来ました。一念が子の上に及ぶと、兼松は顔の色が変り、必死となって人波を掻《か》き分け、元の道へ取って返しました。しかし、荷物の山と人波に遮られ、あがいても、百掻《もが》いても人の先へは出られない。気が急《せ》けば急くほど身が自由にならないので、これではいけないと、荷物の上
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング