が、その間は横丁の角々《かどかど》は元より到《いた》る処荷物の山で、我も我もと持ち運んだ物が堆高《うずたか》くなっている。それを火勢に追われて逃げて来る人々は、ただ、一方の逃げ口の吾妻橋方面へと逃げ出そうと急《あせ》っている。片方は大河《おおかわ》で遮《さえぎ》られているから、この一方口《いっぽうぐち》へ逃《のが》れるほかには逃げ道はなく、まるで袋の鼠といった形……振り返れば、諏訪町、黒船町は火の海となっており、並木の通りを荷物の山を越えて逃げ雷門へ来て見れば、広小路も早《はや》真赤《まっか》になって火焔《かえん》が渦《うず》を巻いている。雷門から観音堂の方へ逃げようとしても、危険が切迫したので雷門も戸を閉《し》めてしまったから、いよいよ一方口になって、吾妻橋の方へ人は波を打って逃げ出し、一方は花川戸、馬道方面、一方は橋を渡って本所へと遁《に》げて行く。その遁げる人たちは荷物の山に遮られ、右往左往している中に、片ッ端から荷の山も焼け亡《う》せて跡は一面に火の海となるという有様……ただ、もう物凄い光景でありました。
こんな工合で、風が真西に変って不意打ちを食ったのと、大河に遮断《しゃだん》されて逃げ道のないのとで、荷物を出した人などはない。出しには出しても、出した荷は山と積まれたまま焼けてしまうのですから、誰も彼《か》も生命《いのち》からがら、ただ身一つになって、風呂敷包み一つも持たず逃げ出したもの……実に悲惨《みじめ》なことでありました。
さて、火勢はさらに猛烈になって、とうとう雷門へ押し掛けて行きました。
広小路から雷門|際《ぎわ》までは荷物の山で重なっているのですが、それが焼け焼けして雷門へ切迫する。荷物は雷門の床店の屋根と同じ高さになって累々としている所へ、煽《あお》りに煽る火の手は雷門を渦の中へ巻き込んでとうとう落城させてしまいました。それで雷門から蔵前の取っ付きまで綺麗に焼き払ってしまった上、さらに花川戸から馬道に延焼し、芝居町まで焼け込んで行きました。三座は確か類焼の難はのがれたように思いますが、何しろ、吾妻橋際から大河《おおかわ》の河岸まで焼け抜けてしまったのですからいかに火勢が猛威を振《ふる》ったかは推《お》し測られます。それに、大河を越えて、本所の吉岡町《よしおかちょう》へ飛火をして向う河岸で高見の見物をしていた人の胆《きも》までも奪ったとは、随分念の入った火事でありました。
名代の雷門はこれで焼け落ちましたが、誰か殊勝《しゅしょう》な人があったと見え、風雷神の身体《からだ》は持ち出すことは出来なかったが、御首《みぐし》だけは持って逃げました。それが只今《ただいま》、観音堂の背後の念仏堂に確か飾ってあると思います。これはその後になって、門跡前の塩川運玉《しおかわうんぎょく》という仏師が身体を造って修理したのであります。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:しだひろし
2006年2月14日作成
2006年6月21日修正
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